てんし【天使】
(1)ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などで,神の使者として神と人との仲介をつとめるもの。エンジェル。
(2)やさしい心で,人をいたわる人。「白衣の―」  (新辞林 三省堂)

Angel Song

3.

 秋季大会、と言っても正式には親睦大会であって、全日程も一日で終了する小さな試合だ。だが、三年生引退後、二年生主体チームでの初めての顔合わせとあってどの学校も戦力分析には余念が無い。この試合の結果如何で来年のチームの状態に大きく影響を与える可能性があるだけにおろそかには出来なかった。

 初戦をストレート勝ちで決めたあと、手塚は試合会場内を大石と二人で回っていた。他校の試合見学のためである。

「幸先のいいスタートだったな、手塚。……15分で決めるなんて」
「ああ……」
「お前が最後にいると思うと、俺たちも心強いよ、やっぱり。皆そう思ってる」
「そうか」

 大石の言葉に生返事で返した。右手で左手の肘をぐっと掴む。
 先ほどの試合で、手塚は圧倒的な強さで勝利を収めていた。

「そういや、何処を見に行くんだ? だいたいのところは乾がデータを取ってるけど……」
「そうだな……」

 と、考え込んで意識がそれたところで、前から走ってきた誰かが追突してきた。

「て、手塚……!」
「……?」

 バランスを崩してこけそうになったのは手塚ではなくぶつかってきた方だった。とっさにその腕を掴んで倒れないように体を支えてやった。
 まだ細い腕や体格からすると、一年生なのだろう。そう考えた。茶色がかった髪は短く切りそろえられている。白と黒のユニフォームから何処の生徒かはすぐにわかった。聖ルドルフだ。

「す……すみません!!」
「いや、君こそ大丈夫か」

 手塚が手を離すと、その生徒は自分で体勢を立て直した。

「はい、大丈夫です……すみません、急いでたんで……って、ああ!!」

 礼儀正しく謝罪のため一度頭を下げた生徒は、もう一度顔を上げると、手塚の顔を見て突然大声を上げた。

「……て、手塚さんですよね……! 青学の……!!」
「……そうだ」

 その一年生の顔にはっきりと歓喜が見て取れた。こういう手合いは慣れていたので手塚は表情を変えずに答えた。自分が有名になるにつれて、良い意味でも悪い意味でもこうやって呼び止められる機会は多くなった。

「ず、ずっと憧れてたんです……兄貴もそうだったんで……兄貴が凄い手塚さんのこと誉めてて……! さっきの試合もずっと見てました……!!」
「…………」
「俺も左利きだし、手塚さんみたいになれたらな……って、俺如きがって感じですみません……」

 照れながら話している様子がなかなか好印象だったので、手塚は少し表情を和らげた。

「……そんなことはない。それは、君の努力次第だ」
「は、はい……がんばります!! 手塚さんにそう言ってもらえると光栄ッス!! 今日は控えなんですけど、来年はきっとレギュラーで試合出ますから!! そしたら是非戦いたいです!!」
「……ああ」

「裕太君、何やってるんですか! 早く来なさい!!」

 名前を呼ばれたのか、一年生はびくっと身を震わせた。

「あ、……観月さんだ。ぶつかっちゃって本当にすみませんでした。俺、失礼します。試合、頑張ってください!」
「君もな」
「はい!」

 再び進行方向に駆けていこうとした一年生を、ふと、呼び止めた。
 向こうは自分の名前を知っていたのだし、こちらも名前ぐらいは聞いておこうと思った。

「そうだ、名前は?」
「あ、はい! 不二です、不二裕太。聖ルドルフッス」

 よく聞いたことのある名前の響きに、手塚は少し目を見開いた。

「……ふじ?」

 自分の部屋にいるはずのあの天使の顔がふっと浮かぶ。
 しかし、まさか。

「はい、富士山の方じゃなくて、『二つとないこと』の不二ッス」

 聞き返した手塚に、一年生は丁寧に説明した。その説明の仕方もいつか聞いたことがあるものだった。

「裕太君! 置いていきますよ!!」
「っと……すみません、じゃあ、失礼します!!」

 甲高い声がして、不二と名乗った一年生は、もう一度大きく頭を下げると走り去っていった。

 手塚はその背中を呆然と見詰めていた。
 ……妙な胸騒ぎがする。

 あの天使と同じ名前。
 そう言えば、茶色がかった髪の色など、似ている部分もある。

「なかなかいい一年生だったな」

 大石に声をかけられて、手塚は考え事からはっと我に返った。

「あ、ああ……そうだな……」
「聖ルドルフか……そういえば補強組を作ってるって乾が言ってたところだな。来年は侮れないな」
「…………」

 大石の言葉を手塚は話半分に聞き流していた。
 不二と言う名の少年と、あの天使の関係が気になっていたからだ。

「彼も補強組なのかな……」

 大石の呟きを無視する形で、手塚はおもむろに声を発した。

「……乾は、聖ルドルフのデータも持っていたな
「? ああ……多分」
「……いったん戻る」

 と言うと、手塚は踵を返して来た道を戻り始めた。

「って、おい、手塚、見学は!?」
「……すまん、気になる事があってな、頼む」

 大石が訝しげに自分を見ている事はわかっていた。
 だが、どうしても先ほどのことが気になって仕方なかった。

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「乾、すまん。少し時間はあるか?」

 休憩中の青学レギュラー陣の元に戻ってきた手塚は、次の対戦相手のデータを確認中だった乾を呼び止めた。

「ああ……かまわないが。どうしたんだ」
「聖ルドルフの……選手のデータを見せてくれないか?」
「……聖ルドルフ? 今日はあたる予定はないが……」
「気になる選手がいてな……」

 乾はぺらぺらとノートを捲ると、目当てのページを見つけた。

「今年から補強組を作って強化しているな。まあ、今の段階じゃまだチーム内もまとまりが無く発展途上だが……」

 乾の薀蓄は聞き流しながら、手塚は選手リストのところを探り当てた。
 不二裕太。補強組、控えの一年生。みずがめ座のO型、左利き。甘党。その他新人戦のデータなどがついている。
 そして補足に、小学生時代から有名テニススクールに通っており、一つ上の兄とともに天才兄弟として一部では評判だった……と付け加えられている。

(兄……?)

 そう言えば、先ほども彼は兄のことを話していた。

 ――兄貴がすごく手塚さんのこと誉めてて……!

「この選手か? まだレギュラーではないが……」

 乾がノートを除き込んできたので、手塚は気になっていたことを尋ねてみた。

「……彼の、兄というのは? この様子だと俺たちと同学年になるが……」
「……?」

 乾も首を傾げた。

「どうだったっけな……おかしいな、そう言えば聞かないな……兄弟なら名字は同じはずだが……」
「…………」
「同学年でテニスをやっているのなら、噂の一つや二つ、聞いてもおかしく無さそうだが……いや、最近どこかで見たような……ああ、思い出した」

 乾が急に手を叩いた。

「先日、大和先輩が持ってきてくれた資料の中だ」
「? あれは、去年の秋季大会の資料だと聞いたが……」
「いや、その中にな、俺たちの世代の小学校時代の資料があったんだ。都内のジュニア大会の成績記録を網羅していてな……先輩達、目ぼしい生徒をチェックしていたようだな。お前や氷帝の跡部なんかが目立っていたが……確かその中で、不二と言う名前があったような……」
「それは確かか?」
「……ああ、名前を見たことだけは確かだ。だが、今噂を聞かないとなると……どうしたんだろうな」

 だが、確認してみる価値はあるだろう。
 例の資料なら顧問の竜崎が持っているはずだ。思わぬ幸運に手塚は感謝した。

「なんだ、気になる選手って彼の兄の方なのか?」
「…………」

 乾の問いに手塚は沈黙を守った。自分の中の疑問を説明しようとなると、あの天使の存在から説明しなくてはならない。
 名前の一致、それだけだと言えば、確かにそれだけのことだ。
 だが、もしも、天使がもともとはただの人間なのだったとしたら。
 自分の予感を、ただのカンだと言い切ることはできそうになかった。

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 試合はその後順調に勝ち進んだ。ダブルスの黄金ペアは絶好調で勝ちを収めつづけ、シングルスの方もなかなか好調だった。手塚自身も内心気にかかる事は多かったが無難に勝利を収めていた。とはいっても、シングルス1の手塚まで試合が回ることすらほとんど無かった。

 大会も終了し、荷物をまとめて帰る間際のことだった。時刻も遅いので学校にも戻らずバラバラに解散することになった。

「じゃあ、お疲れさん」
「じゃあな〜」

 先に帰る大石たちに挨拶を告げると、手塚も荷物を抱えた。荷物を詰めていた乾が不思議そうに自分を見上げた。

「帰るのか」
「いや、俺は一度学校に戻る。竜崎先生と相談もあるからな……それに……」
「ああ、さっきのか。なんなら俺も調べておくよ」
「すまない……」

 と、歩き出そうとした時だった。
 人込みの中にふと、茶色い髪が見えた気がした。

(……不二?)

 見に来ていたのか?、と思い後を追おうとしたが、すぐに人込みに紛れて茶色の頭は見えなくなった。

 手塚自身も気のせいだと思い直して、すぐにそのことは意識から消えた。

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 電柱の上に座りながら、不二は試合の終了したテニスコートを見下ろしていた。片膝を立てて、その足を抱え込むようにして座っている。
 風が強く電線を揺らしているが、不二の身体には何の影響も与えていなかった。
 天使という存在は、そういう身体の持ち主だった。

(…………)

 コートから中学生の姿がどんどん減っていく様子を、最後まで不二は見ていた。その中には顧問と一緒に帰る手塚の姿もあった。
 思わずくせで唇を噛み締めた。
 だが、噛み締めた唇にも痛みは無かった。

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「大和の持ってきた資料、かい? 確か、お前さん方の小学生の時の……」
「ええ、気になる選手がいまして。同い年のはずなのですが……」
「そりゃあかまわんが……」

 試合終了後、竜崎について学校に戻った手塚は、今日の試合の反省をしたあとで例の資料について尋ねてみた。
 二年前に作られたと言う、都内の小学生成績表だ
 竜崎は机の上の棚から、さっと青いファイルを取り出した。

「ま、もう二年も前のものじゃからな……今更必要無いかと思っておったんだが……」
「いえ、ありがとうございます」

 手塚はそのファイルを恭しく受け取った。

「明日も学校がある。さっさと帰るんじゃよ。それは家に持って帰ってかまわんから」
「ありがとうございます。それでは、失礼します」

 手塚はふかぶかと一礼すると、職員室の入り口に歩を進めた。
 だが途中で、再び竜崎に呼び止められた。

「ああ……手塚、言い忘れとった」
「はい、……何でしょうか?」
「お前さん、今日の自分の試合……自分でどう思った?」
「どう、とは……ベストを尽くしたつもりですが」
「……本当に、自分でそう思っているのかい?」

 こちらに近づいてくる竜崎の眼光が厳しくなる。
 手塚は僅かに身を強張らせた。ファイルを握る左手に力がこもる。
 青学は順調に勝ち進んだので、結局手塚は数試合しか行っていない。
 その数試合を指摘されているのだ。

「……どの試合もあんな速攻で決めるなんて、お前さんらしくない……」
「それは……」
「……ここ最近、一人で遅くまで練習して残っておったろう。何かあるのかい?」
「……いえ」

 手塚は顔を上げずに言葉を紡いだ。
 竜崎はその様子を見て、やれやれと肩をすくめた。

「……お前さん、もともと一人で背負い込み過ぎる傾向があるからねえ……とりあえず今日は、ここまでにしよう。今日は何もせずゆっくり休みな」
「はい……」

 落ち着かせるように竜崎は軽く手塚の左肩を叩いた。
 手塚もそれで憑き物が落ちたかのように、全身の力を抜いた。

「……失礼します」

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 手塚が出て行った後のドアを見て、竜崎は溜息をついた。
 一年生の時から部長候補として育てられた手塚の、青学の部長としての思いはおそらく誰よりも強い。もともと、テニス部の活動は生徒の自主性を尊重して部長と副部長に大きな権限を与えている。顧問としての竜崎は放任主義をとることで要所でしか口を挟まない。
 部長としての手塚の働きに文句はない。だが、個人としての手塚が何か抱え込んでいるとしたら。

(……手塚相手だったら、私より、アイツの方が適役かねえ……)

 しばらく考え込んだ後、机の上の携帯電話を手に取った。

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 早く帰るようにとは言われたが、家に帰ると不二本人がいる。そこで例の資料を見るのはなんとなく躊躇われたので手塚は一度部室に向かった。
 休日の夕暮れということもあり、校庭には人の気配は全く無かった。自分の足音だけが音の無い世界に響く。
 部室に入り灯りを点け、手元に持ったままだった資料を机の上に置いた。

 高まる胸の鼓動を抑えるように、一度大きく深呼吸した。

 青い表紙をめくると、使い古されたルーズリーフと、その上に書かれた慣れ親しんだ文字が目に入ってきた。
 懐かしさを覚えて、少し気持ちも落ち着いた。
 はじめは都内のジュニア大会の成績表だった。手塚が優勝を決めた試合でもあった。現在も中学テニス会で有名な選手の名前も何人か見て取れる。思い出に浸りかけたが、そんなことをやっている場合ではないと思い直した。
 なおもページを繰り続ける。
 資料には二年前に都内で行われた小学生の大会の成績が網羅されていた。そのあとに各個人のデータが続いている。一枚目は手塚自身だった。各大会の成績に加えて、プレイスタイルやクセなどが明記されている。何かの切抜きと一緒に載っている顔写真にわずかに赤面した。まさかこんなところで二年前の自分を見る羽目になるとは思わなかった。
 続けて一枚ずつ資料を確かめていく。中学だけでなくその下にまで気を配るその細かい仕事に、さすが大和部長だと感心した。

 だが肝心の「不二」の名前は見つからない。残りページも少ない。乾が言ったからには間違いなくこの中にあるはずなのだが。
 わずかに焦りだしたその時、目当ての人物は急に視界に飛び込んできた。

 不二周助、という名前。

「…………!」

 諦めが強くなりつつあったので、危うく見逃しかけて次のページに進むところだった。慌ててページを捲りかけていた手を元に戻した。

 これが、試合のときにあった不二裕太の兄であることは間違いないだろう。都内の某有名高級テニススクールに所属して、兄弟ともに天才小学生として有名だったらしい。乾のノートで弟について書かれていた内容と同じだった。体型は小柄だが並外れたセンスの持ち主であったようだ。その年のジュニア大会では予選トーナメントで優勝している。だが、その二週間後に行われた決勝トーナメントでの記録はない。

(……どういうことだ?)

 負けたとしても記録には残るはずだ。他の選手は皆ちゃんと記録されている。だが、不二周助という選手だけは決勝に関する記録が全くない。
 そもそも、出場していれば、手塚の記憶にも残っているはずだ。それほどの才能の持ち主ならばなおさらだろう。
 ということは、そもそも、出場していなかったのだろうか。

 気になって次のページに進むと、雑誌の記事の切抜きが貼り付けてあった。地区予選での優勝を伝えるものだ。
 そこには当然、顔写真も掲載されている。

「…………」

 手塚は音を立てて息を呑んだ。
 雑誌はコピーされたものであるうえに、小さな顔写真なので、鮮明とはとても言うことは出来ない。
 だが、確かに小さな楕円形の中にある不二周助の顔は、よく見たことのあるものとそっくりだった。
 人当たりのよい、上品な微笑みを浮かべた表情は、今朝家を出る前に自分も見ている。

(……不二?)

 見間違いかもしれない、と思ってよくよく写真を見返してみた。
 だが、見れば見るほど、写真の人物は天使と同じ顔にしか見えなかった。

(不二は……不二周助、なのか?)

 先日見たあのラケットさばきからすれば、天使の不二がテニス経験者なのは確かである。
 彼が、もしもこの天才小学生なのだとしたら。

 だが、あの天使がこの天才小学生と同一人物だとすると、そこでまた疑問が生まれる。
 何故、彼が今天使などをやっているのか。

「………………」

 疑問まみれの心を抑えて、手塚はファイルを閉じた。部室にあまり長居しても問題になるだろう。
 それに家に帰れば、問題の張本人がいるはずだ。
 彼に聞けばいいのだ。それだけの話だ。
 人間だったのか、どうなのか。

 手塚は決意を固めて、家路についた。

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 自宅に戻ると、不二は相変わらずうつ伏せになってベッドの上で本を読んでいた。片足を曲げてぶらぶらと振っている。

「お帰り〜。どうだった、試合?」
「ああ……順調だった」
「ま、……負ける訳ないか」

 不二は本から視線を離さずにそう答えた。
 手塚の方も顔を合わすことが出来なかったので幸いだった。

「でも帰ってくるの、だいぶ遅かったじゃないの? 何か顧問の先生に言われたの?」
「いや……ちょっと調べ物があってな」
「そう?」

 まだ、不二は手塚の方を見ようとはしなかった。
 荷物を置いて着替えながら、手塚は何をどうやって聞くべきか迷っていた。
 当り障りの無い話題から始めるべきか、どうなのか。
 だが、変化球で相手の様子をうかがうのは苦手だった。ここは素直に直球勝負で行こうと決めた。

「……今日、他の学校の生徒だが……不二裕太、という生徒にあってな。お前と同じ名前だから気になったんだ」
「……ふーん」

 不二は気乗りしなさそうに答えた。
 手塚は少し訝しがった。弟の名前を出せば、不二の様子に変化が見えるかと思ったのだが。

「彼には兄がいるらしくてな……小学生のジュニア大会予選じゃ優勝もしている」
「そうなの?」
「……不二周助、という名前らしい」
「へえ」

 不二の顔色は変わらない。どうでもいいと言いたげだった。

「この前……部室に来た時に、お前、ラケットを振っていただろう。あれで気付いたんだが……不二、お前、テニス経験者だろう」
「……そんなこと、ないよ。僕はだって天使だよ? テニスなんて全然知らないし……」
「あのフォームは間違いなく経験者の動きだった。俺が言うんだから間違いない」

 手塚もだんだんムキになってきていた。
 意を決してこう聞いた。

「お前……人間だったのではないか?」

 不二はその言葉を聞くと、不思議そうに首を捻った。

「……何言ってるの手塚? 僕は天使だってば。人間なんかじゃない。生まれたときから、ずっとね」
「しかし……」

 青いファイルの中で確認した不二周助の顔を思い出す。
 目の前にいるこの天使と同じだったその笑顔が、いったいどういう意味を持っているのか。
 天才と称されたほどの才能の持ち主が、どうして。

「俺は……」
「……手塚、本来の目的忘れてるよね。僕も最近忘れかけてたけど」

 手塚がそのことを問いただそうとすると、不二が突然話題を変えた。
 慌てて手塚は言葉を飲み込んだ。
 本来の目的?

「……僕は君の願いを叶えに来たんだ。一つだけ。君が願い事は無いっていうからこうして居候してるだけで」
「……そうだった……な」

 手塚は少し目を見開いた。
 馴染みきっていて、願い事なんて言われるまで忘れていた手塚だった。
 家に帰ると不二がいる生活も当たり前になっていたからだ。

「……君がね、僕が何者かなんて、気にする必要ないんだ」
「……そうか……」

 反論したかったが上手く言葉が続かなかった。
 確かに、一時期の居候に過ぎない不二のことをわざわざ調べる必要なんてないはずだ。ましてや、天使がもともとは人間だったかどうかなんて知ったところでどうしようもないことのはずなのだが。

 ただ。
 不二のあの奇麗なフォームが、目に焼き付いてはなれなかっただけだ。

「だが、俺は、お前のことを……もっと、知りたい、と……」
「……そう?」

 手塚自身、自分の口から出た台詞に混乱していた。思わず頭を下げた。
 俯いた手塚に、不二は顔を寄せてきた。

「気持ちは、嬉しいけど……」

 不二の手が首筋に巻きついたところで、階下から手塚の名前を呼ぶ声がした。
 手塚の母親、彩菜のものだ。

「国光、電話よー! 乾君からー!」

 その声で手塚は顔を上げた。
 不二も驚いたように目をぱちくりしている。

「は、はい……!」

 慌てて不二の身体を押しのけて、手塚は部屋から出て行った。
 そのあとを、不二は目を細めてずっと見ていた。

          :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 電話線を通して聞こえてくる乾の声は、少し沈んでいるように聞こえた。

『もしもし、手塚か』
「ああ。どうしたんだ?」
『……お前、昼間、不二兄弟のこと、気にしていただろう? 大和先輩のファイルは見たか?』
「……ああ、確かに彼の記事はあったな。だが……」

 だが、不二自身が否定しているのだ。これ以上、何か話を聞いても、意味がないように思った。
 先ほどの胸の痛みを思い出して、わずかに表情を暗くする。

『それで……不二兄の方を確認してみたんだが、……ああ、面白い資料なんで、あのファイルのコピーを取っておいたんだが……不二兄にはジュニア大会の決勝トーナメント以降の記録が無いだろう? それで気になってちょっと知り合いに聞いてみたんだが、すぐに答えが返ってきて……』
「……? 解ったのか?」

 それは手塚も気になっていたことだった。思わず答えを急がせた。
 乾は一度息を呑んで、こう告げた。

『事故死してるよ。不二周助は』

 手塚の全身が、一瞬、凍ったように固まった。
 頭を鈍器で殴られたようなショックだった。

「……なん、だって……」
『決勝トーナメントの前日のことだ。トラックに轢かれて、その3日後に死亡してる。即死じゃなかったからあまり大きく取り上げられなかったんだが……ジュニア大会ならお前も出てるから、ひょっとしたら対戦してたかもしれないな……』
「そう、なのか……?」
『ああ、……ってお前、だから調べてたんじゃないのか? 俺はお前がてっきり不二兄を知ってるものだと思ってたんだが……』
「いや……それは……」
『だから、不二兄を探しても無駄だよ。それだけ今日のうちに言っておこうと思って』
「あ、ああ……」

 浮かない声で手塚は返答した。
 それが真実ならば、いろんな疑問に説明はつく。事実、それしか全てを説明できないと心のどこかで思っていた。
 だが、本当のことだとは確認したくなかった。

『じゃ、それだけだから』
「……すまない、乾」
『いや、構わないよ。俺も興味あったし。じゃあ、明日、学校で』
「ああ……」

 重い気持ちで受話器を下ろした。
 すると、見計らってか、キッチンから母親が顔を出した。

「あら、電話、終わった? じゃあ御飯にしましょう……」
「……はい」

 手塚は言われたとおりにキッチンに向かった。
 二階にいるはずの不二に今のまま会うことは出来なかった.


秋季大会の設定については勝手に捏造してますがその方向で。

まあ……楽屋ネタを言えば要するに裕太を出したかった訳で……この辺は完結後に言い訳します……。

なんだか塚不二めいてきた気がするのですが……まだまだ続くですよ。
というか微妙に死にネタって言いますねこれ……すみません注記遅くて。死にネタだって意識してませんでした……。

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