てんし【天使】 Angel Song 1. 秋の始まりの頃、天使は空からやって来た。 「――はじめまして。僕は天使。 そう言って、ふわりと微笑んだ。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 強豪と名高い青学テニス部の練習は厳しい。朝練はもちろん、放課後も下校時間ギリギリまで厳しい練習が行われる。もう10月も終わりに近い。日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。 「てーづか」 男女どちらともつかない声はもう聞きなれたものだったが、手塚は慌てて振り向いた。 「……不二!」 小声で名前を呼ぶ。 「もうすっかり寒くなったよねー……って僕五感とかないんだけど」 とかそんな事をいっている割には手にふーふーと息を吹きかけている。暑さや寒さを感じない体だとは言っていたが、なんとなく気分でそうしているらしい。 「……どうしてここに」 不二は微笑んで答えた。 「迎えに来てあげたんだよ。どーでもいーけどあんまり大声出さない方がいいよ。僕の姿って君以外に見えてないわけだし」 不二の言う通りだった。どういう仕組みかわからないが不二の身体は自分以外の人間には見えていないらしい。声も聞こえていない。一ヶ月ほど共にすごしてきてようやく慣れたところだった。 「学校には来ないんじゃなかったのか」 言っただろう、と反論しようとして思い返してみたが、確かに不二がそう口にしたことはなかった。今まで学校に現れたことは無かったのでてっきりそういうものだとだと思い込んでいたが。 「……言ってはいなかったな」 素直に手塚は自分の非を認めた。 「じゃあどうして来たんだ」 不二の表情が不意に曇ったので、手塚は訝しげに思った。 「……学校に、来たかったのか?」 ならばもっと早めに来ていてもよいような気もするが。別に問題ないというのなら。何せ、不二と出会ってからもう一ヶ月近くが過ぎたのだ。 「うーん、まあこっちにもいろいろ事情があって」 不二が首を少し振ると、茶色の髪がさらりと自分の耳にかかった。それほど顔を近くに寄せられているのに息遣いや体温、脈動を感じない。よく解らないが、こんなに近くにいて、確かに触れられるのだが、その感触はあるのかないのかよく解らない。そういうことを感じるたびに、こいつは本当に人間ではないのだなと実感させられる。 黙りこんだ不二に対し、何か言おうとしたとき、再び後ろから声がかけられた。 「おーい、手塚」 二人で一度に振り向く。そこに居たのは手塚と親しい二人組みだった。二年生のテニス部員、大石と菊丸だ。 二人がそばに来るまで手塚は立ち止まっていた。 「やけに遅かったじゃないか、どうしたんだ?」 二人はダブルスでペアを組んでおり、その抜群のコンビネーションは青学黄金ペアとして名高い。私生活でも仲がいい。 「ふふふ、秋の大会は絶対勝つからな!」 間近に控えた秋季大会に向けて闘志を燃やしているようだった。それは菊丸だけではない。三年生が抜けて、二年生が中心となったテニス部全員も同じ気持ちだった。 「ダブルスは俺達に任せてくれよ、手塚」 もともと個人技に走りがちで、シングルスの強い傾向を持つ青学テニス部にとって、天性のダブルスプレイヤーである大石の役割は大きい。そして、大石のフォローによって菊丸は持ちうる才能を全力で発揮することが出来る。理想的なダブルスだった。 「俺達と手塚でー、ま、二勝は確実だよな。乾も多分いけるだろうし。他の二年はどんぐりの背比べって感じだけど。一年はまだ実戦力に数えるにはちょっと辛いし」 菊丸が指を折りながら品定めをしている。三年生が引退後のため、やはりその戦力の低下は否めない。しかしレギュラー陣も今回のレギュラー争奪戦で新旧交代が進んだのだから、各自のプレイスタイルを踏まえたうえで戦略的にもまた考え直さねばならない。 「そうだな……」 手塚には正直悩むところであった。シングルスでは手塚と乾、ダブルスで大石と菊丸。確実に戦力と言い切れるだけの実力を持つ人材があと一人ぐらいはほしいところだ。 「まあ、今はどこも事情は同じだろうし。後輩の実力を伸ばすのも大事だよ。それは先輩達もやってたことじゃないか」 悩みこんだ手塚を慰めるように大石が言う。手塚もそれで納得した。 「そーそー、なんとかなるって〜。桃とか、一年でも面白いのもいるんだし」 能天気そうに菊丸が言った言葉を受けて、大石が返した。 「俺は海堂が伸びると思うよ。乾相手に健闘してたじゃないか」 そうやって前回のレギュラー戦の話を続けながら、校門の前までたどり着いた。下校時間にはちゃんと間に合った。 「じゃあ、俺達こっちだから……」 そう言って、門を出たところで、手塚は二人と別れた。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 「どうしたんだ?」 軽く振っていた手を下げたあと、手塚は歩き出しながら、どこともなく静かに問いかけた。 二人と話している間、不二は何も言わず、後ろから付いてきているだけだった。 「んー……別に」 後ろに控えたまま、不二は気乗りしなさそうに答えた。 「いいなあ、なんか楽しそうで、……と思って」 「……悪かった」 なんとなく、謝罪の言葉が口から出た。 「いいよ、僕がこんな身体だからまあ仕方ないんだし。君の友人関係に亀裂入れたいわけじゃないし」 不二はことさら普段の語調で答えた。 「だが……」 何かを言おうとした手塚をさえぎるように、不二は早口で話した。 「まあいいや、早く帰ろう? 今日の夕食は秋刀魚だよ。彩菜さんが買ってるの確認したから」 そう言うといつのまにか不二は手塚の前に来てその先を歩き出した。実際、地に足は付いていないので歩いているとはいえないのが。 「あれが君の言ってたダブルスの二人だよね?」 ことさらテンションをあげて話す不二に、手塚は内心でもう一度だけ謝った。 (天使というものには、家族や友人や学校はないのだろうか) そんなことが疑問に浮かんだ。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 一ヶ月前に、突然目の前に現れた自称天使は、にこにこと笑顔を浮かべ続けていた。 「誰だお前」 手塚はまずそう切り返した。 「だから最初に天使って言ったじゃん。君の願い事を叶えに来たの」 自称天使はややむくれた様子で同じことを言った。 「……願い事?」 笑顔に戻った自称天使は、そう言って可愛らしく小首を傾げた。 「何か無い?」 手塚は正直に考え込んだ。 「……特に無いな」 後半何か物騒なことを言っている部分は聞き流して、手塚は反論した。 「……テニスの腕や知能などは、自分で努力するものだろう」 自称天使はその言葉を聞くと、ちょっと目を見開いた。 「……そうだけど」 呆れたような声で自称天使は答えた。そう言えばこの自称天使は何故自分がテニスをしていることを知ってているのか、と頭のどこかで疑問に思った。初対面なのに。まあ、部屋にあるラケットでも見たのだろうけれども。 「俺には特に願い事はない。別の人のところに行った方が……」 手塚、といきなり呼び捨てで呼ばれたことに僅かに戸惑ったが、表情には見せなかった。 「だが、今は特に……」 自称天使はしゅんと項垂れた。その表情があまりにも可哀想だったので手塚はわずかに罪悪感を覚えた。 「…………」 すまない、と謝罪の言葉を口にしかけた所で、天使はパッと顔を上げた。 「そうだ!」 何か思いついたように、ぱんと両手を合わせた。 「じゃあ、願い事が出来るまで、君のそばにいるよ」 手塚は面食らった。 「それならいいでしょ? 君の願い事が出来るまで、一緒にいてあげる」 ふと、手塚の視線は自称天使の足元にいった。白い足の爪先は床についていない。10cmほど浮き上がっている。 「……そうなのか?」 天使はそう言いながら手塚の頬に指を伸ばしてきた。 「どういえばいいのかな。この身体は、普通の物質ではないんだ。少なくとも生命体じゃない。一種の情報っていうか……電話の電波みたいなの考えてくれればいいよ。決められた人間の知覚だけに受信できるようにしてあるから、手塚には見えるけど、他の人には見えない……って感じかな」 その説明は半分ぐらいしか頭に入らなかった。触られていると、確かにこの自称天使は普通の人間ではないことがありありと感じられたからだ。 「…………本当に、天使なのか」 今更な質問だと思いながら、手塚はそう尋ねた。 「そうだよ」 天使は手塚の頬から指を離さずに、にっこりと微笑んだ。 「だから、君の願い事が決るまで、ずっと一緒にいることにする。いいでしょう?」 押しに負けたように、手塚は首を縦に振った。 「じゃあ、決まりだね」 こういういきさつで、手塚の部屋には天使が居候することになった。居候といっても最初に言ったとおり天使は手塚以外の誰にも見えていなかったし、食事も何も必要ないようだった。 自称天使は名を尋ねると、不二だと言った。 ぱ……ぱられる……今度は天使不二。中二設定で。 卒論の片手間(現実逃避)に進めていきます。いけたら……いいな……。 |