World's End 1 

 うまくいかないこととはいうのは、たいてい、いくつも重なってしまうものだ。
 気の持ちようなのかなんなのか、結局、運が向くまで待つしかない。

 教室の窓から、鱗雲に覆われた9月の秋空を見上げる。
 今は本来、最も気持ちいい季節のはずなのだが。

「ふーじ!」
 ドアが大きな音を立てて開くと同時に、菊丸のはしゃいだ声が聞こえた。
 それで不二は我に帰った。
 普段の『自分』の顔を作ってから、菊丸のほうを振り向く。
「エージ……どうしたの?」
「何ぼんやりしてるのさ〜。さ、部活行こう〜!!」
 小走りに自分の机に向かってくる菊丸は、妙に元気そうだった。ここ最近、ヤケにはしゃいでいる様子だった。それもそのはず。三年の先輩の引退も終わり、今は自分たち二年生が最高学年だ。さらに、彼は今回の九月のレギュラー戦で、見事にレギュラーの座を勝ち取っていた。今ではダブルスペアの副部長・大石と毎日フォーメーションの特訓に明け暮れている。

 一番、部活が楽しい時なのだろう。
 自分はどうだろうか。

「ごめん、今日はパス……気分が良くないんだ」
「ん? どーしたの? 風邪?」
「……そういうことにしといて」
 菊丸は少し真面目な顔で、不二の顔を覗き込んだ。何か言いたそうに口を開いたが、急に押し黙った。
 その代わりに、いきなり明るい笑顔になった。
「そっか、風邪か〜! 最近、妙に寒くなってきたもんな〜!!」
「そう。手塚……は今日もいないか。じゃ、大石とスミレちゃんに伝えといて」
「解った、無理するなよ! NO.1もNO.2もいないんじゃ、部活にどーも張りが出ないんだからな!!」
「ごめんね、エージ」
 小さく謝罪の言葉を口にする。それで納得したように菊丸は大きく首を上下させると、来た時と同じように小走りで教室から出て行った。上靴の音が廊下に響いている。途中、先生に怒られる声も聞こえた。
 その音が全て聞こえなくなってから、不二は鞄を持って立ち上がった。
 菊丸に心配をかけていることは解った。あの妙なテンションの高さは、単純に今の菊丸が調子いいから、だけではない。不二を励ますためのものだ。そうは解っていたし、今絶好調の菊丸に水をさすようで悪いとは思っていたが、どうも、部活に顔を出せる気分じゃなかった。

 こういうとき、自分は別にテニスが好きじゃないんだな、と思い知らされる。
 彼とは違う。弟とも違う。
 だから彼が部活にかけるこだわりも解らないし、弟が自分にコンプレックスを抱くあまり転校までしてしまったことも解らない。理屈は説明できてもその感情が理解できない。
 十数年も同じ家で育ってきた、年子の弟の気持ちが理解できないのだから、当然他人の気持ちなんて解るはずがない。

 帰り際、校門付近から校舎を見上げた。視線の先にあるのは四階の生徒会室だった。
 微かに数人の人影が見える。

 思えば、自分と彼との接点はテニスしかないのだ。
 そのことが胸に重く沈んだ。

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 9月の終わりにあった生徒会選挙で、手塚は新生徒会長に選ばれていた。テニス部の部長と二束の草鞋状態である。もっとも、テニス部の方は今現在間近に迫った試合も無く、もともと副部長だったことや新副部長になった大石の尽力もあって、特に問題があるわけではない。そのため、選挙以来、手塚は生徒会の仕事にかかりっきりになっていた。毎日の朝練や自主練、テニス部の活動内容のチェックはかかさないが、放課後の練習に参加する事はここ数日、ほとんどなかった。
 新部長として好ましい状況ではない事は、手塚自身が一番痛感している。二つの責任を引き受けると決めた時点で覚悟していた状況なのに、すでに片方が疎かになっている。だが、今は基礎固めの時期だ。新役員と新しい体勢についてしっかりまとめておかないと、それこそ後で大変なことになるだろう。数日後に控えた生徒総会の準備さえ終われば、またテニス部に戻ってこれるはずだ。
 幸いな事に、生徒会の新役員はテニス部部長である手塚のそういう事情をよく理解してくれていて、仕事もスムーズだ。もともと、手塚自身が生徒会選挙を勝ち抜いた理由の一つに、テニスでの知名度の高さがあった。

 放課後、顔だけ出すためにやってきた部室には、副部長の大石だけが残っていた。
「ああ、手塚」
「すまんな、任せてしまって」
「いや、生徒会の方も大切だし。むしろ誇らしいよ。部長が生徒会長も兼任してるって。試合前はこっちが忙しくなるんだから、今ぐらい生徒会を優先しておけよ。こっちは特に問題ないから……」
「礼を言う。……今日はどうだった?」
 そう言いながら椅子に腰掛け、部誌に目を通した。確かに、とりたてて問題はないようだ。
「三年生が抜けたけど、その分レギュラー狙いやすくなったからな。みんな張り切ってるよ。一年生もだいぶ伸びてきたし……でも」
 興奮した声で部の様子を告げていた大石は、急に静かになった。そのことを訝しげに思い、声をかける。
「ん? どうした」
 大石はやや躊躇っていたが、伝えるべきだと決めたのか、声を固くした。
「……不二が放課後の練習、休んだんだ。風邪だって」
「風邪か……待て、朝は健康だったはずだ」
 今日の朝練のときに不二には会っている。軽く挨拶を交わしただけだが。別に、普段と変わらない様子だった。
 不二はあれだけの才能があるくせに、きまぐれなのか、部活に身の入っているときとそうでないときの落差が激しい。試合でも、本気を出さずに遊んで勝つことが多い。勝ったとしてもその時の気分が完全に試合展開に影響している。いつも微笑んでいて大きく感情を見せないが、テニスに関しては非常に感情が出ていた。
 その傾向は試合ではマイナスに作用するだろう。そう思った手塚は、お前も青学NO.2として部を支える存在の一人なのだから、しっかり本気を出せ、と常々言っているが、なかなか聞き入れてはくれない。
 だから、ひょっとしたら、風邪を口実にしたズル休みではないかと、まず手塚はそう疑っていた。
 だが大石の不安げな口調は、もっと別の心配をしているようだった。
「風邪だって、本人は言っていたみたいだけど……エージが言うに、精神的なものもあるんじゃないかって」
 言い出しづらそうに、大石はわずかに口を噤んだ。
「……俺もそう思ってる。ほら、不二は……裕太君のことがあったから」
「…………」

 不二の弟、不二裕太はつい最近、青春学園から聖ルドルフ学園へ転校していた。
 入学時、手塚や大石は期待の新入生として見ていたのだが、兄・周助とテニスで比べられる事を嫌ってテニス部にすら入らなかった。ここでは天才・不二周助の「弟」としか認知されない劣等感ゆえの選択だったらしい。

「不二の事だからあまり表に出さないけど、落ち込んでるんじゃないかな……練習にも、身が入ってないようだし」
「そうか……」
 本来、部活を精神的怠慢でサボるなんてもってのほかだが。
 しかし、家庭の問題が絡んでいるとなると、そうきつい事も言えない。

「だから……手塚から、一言、言ってやって欲しい。相談に乗ってやるとか」
「……お前でもいいだろう」
 手塚がそう言うと、大石は僅かに苦笑した。
「不二は手塚の言う事しか聞かないよ。一年の時からずっとそうだったじゃないか」
「…………そうか?」
 手塚には心当たりはなかった。そもそも、あの気まぐれな『天才』はほとんど人の言う事を聞かないようなイメージが手塚にはあった。当然、自分の言う事も素直に聞いた試しがない気がする。
 だが大石は、そうだと力説した。
「俺やエージが何言ったって、一見素直に聞いてるけどさ、はぐらかされて終わりだよ。……確かに『素直に』聞いてはいないけどさ、手塚の言う事なら一応聞くはずだし。忙しいと思うけど、一度、相談してやってくれないか?」
 悩んだが、部員の相談にのってやるのも、部長としての務めだろう。そう思った手塚は了解した。
「……解った」
「頼むよ」

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 自室で読みかけの推理小説を開きながら、不二は溜息をついた。
 部活を休んで、とりあえず家で休養している。と言えば聞こえはいいが、実際はただごろごろしているだけだ。宿題も予習も終えた。特にやることもないので、手塚から借りた本でも読もうかと思ったのだが。
 目は文章を追っているだけで、話は全然頭に入っていない。
 やるべき事がないと、思い出されるのは今日の昼休みに耳にした言葉だ。

 『テニス部の手塚君、生徒会書記の一年生の子と一緒に本屋にいたんだって』

 たったそれだけのことだった。
 昼休みに、同じクラスの女子生徒が話していた世間話を耳にしただけの話だ。
 その後、お約束通りにその子の名前がどうとか、見た目がどうとか、他にも二人で職員室にいるところを見たとか、いろいろと尾ひれが付いていたが、その辺はもうどうでも良かった。
 弟のことは、裕太の決めた事だと割り切ろうとしているところだった。考えたいことは山ほどあった。だが、裕太がそれで少しは楽になるのなら、むしろ喜ばしい事のはずだ。引き止めたって仕方がない。自分に何も言う権利はない。
 そう思い直して、気分を変えようとしている矢先に、この噂が耳に入ってきた。

 ……だから悪い事は重なるというのだ。

 噂の生徒会書記の女生徒は不二も目にしたことがあった。小柄で、髪はやや長めのショートだ。髪の色が薄くて、生徒指導に文句を言われていたところに通りかかった。地毛だと言う主張に、生徒指導も最後には諦めていたようだ。一年生ながら、はきはきした声で堂々と鬼の生活指導と恐れられている体育教師に渡り合っている姿が印象的だった。生徒会に選ばれたという事はそれ以外の生活態度は良好らしい。
(手塚の女の子の好みって、ああ言う感じなのかな……)
 恋愛関係にどころか人の気持ちというものに鈍感かつ無頓着な手塚だ。今まで、大量の女の子から告白された姿を見てきているが、全て断ってきていた。「今はテニスのことだけ考えていたいので」と、全てお約束の台詞で。
 冗談交じりに恋愛観について尋ねてみた時も、そういうものに興味はない、の一言で切り捨てられた。だから、手塚が女の子と付き合う可能性なんて、今まで心配する必要はなかったのだ。
 そんな手塚が、自分から愛情を示していた例は一件だけ確認している。自分たちが一年生の時に三年生だったテニス部の部長だ。もっともそれは尊敬が行き過ぎた感じというかなり特殊な例なので、削除しても良いだろう。……同性の髭眼鏡親父だし。
 とにかく、一年半近く、テニス部の練習ほとんど毎日顔を合わせていれば、恋人ができたかどうかの判断ぐらい簡単につく。手塚にそういう浮いた話が一つもなかったのは確かな事だ。手塚に特別な感情を抱く不二としては、それに安心してきた。

 だが、ここ一週間ほど、手塚は生徒会の方に行っていて、朝練の少しの時間しか顔を合わす機会はない。副部長の大石はそれなりに会っているみたいだが、自分はクラスも離れているし、上手く口実を作る事はできない。

 生徒会の方で手塚が何をしているのか、不二は全く知らない。

 本から目を離して、天井を仰いだ。
(……嫉妬してるのかな)
 何に、だろうか。その書記の子にだろうか。そう思うと、自分がひどく惨めに思えてくる。だがそれだと、少し違う気がした。
 手塚が誰かと恋愛関係になっている、という想像が耐えられないのだ。
 一人で生き抜く存在だと思っていた。その隣には誰も付いてはいけない。当然自分すらも。
 彼は孤高の王者だ。王の冠は一人分しか用意されてはいない。
 勝利の栄冠を貪欲に手につかめるのは、たった一人しかいない。
(そのために、誰かを必要とする手塚なんて、見たくない)
 自分よりも強い彼の弱い姿なんて。

 そう思っている自分に、僅かに嫌気がさした。結局それは勝手な想像だ。手塚に理想を見ているだけだ。そう言うたぐいの恋愛は上手くはいかない。偶像化して祭り上げている女子生徒達とどう違うと言うのか。
(……だって、手塚のことなんか、ホントは全然知らないんだし)
 一、二年ともクラスは離れているし、部活以外の付き合いは少ない。学校外で会う時もだいたいは大石・菊丸らテニス部の二年生の面々と一緒だ。本の趣味ぐらいはお互いに知っているが、それ以外の趣味はどうも合わない。
 だが、部活で確実に会えるのなら、普段の距離をとくに気にする事はなかったのだが。
 今は違う。
(まともに会ってないもんな、最近)
 自分の知らない場所で、知らない人々と、手塚が何を話しているのか。何を考えているのか。
(そりゃ、僕はただのチームメイトだから、知らなくて当然だけど)
 一緒に暮らしてきた弟とだって、理解しあえなかったのだから。

(……手塚だって、僕のことなんか、全然知らないんだろうし)
 もっとも、こんな感情を知られるぐらいなら、距離をおいていて正解だろう。
 同性同士の恋愛なんて、堅物の彼が受け入れられるとは考えられない。気持ち悪がられて嫌われて当然だろう。このまま三年間ずっと、テニス部のライバルとして、そしてチームメイトとしてそばにいるためには、こんな気持ち、伝えない方がマシなはずだ。

 ……それに。
 この気持ちは、恋愛じゃないのかも知れないし。

 目を閉じると、時々夢に見る光景が浮かぶ。
 女のように手塚を抱いている自分だ。裸の彼を拘束し、身動きできなくする。唾液が糸を引くような濃厚なキスを交わして、股を広げさせて陰茎を舐り、その後ろの場所に指を這わす。ロクに慣らしもしないで無理やり自分のものを突っ込むと、彼の口からあられもない悲鳴が上がる。中にも外にも、自分の精液を撒き散らしてやる。全身を白い液体でドロドロに汚された彼の姿を想像するだけで腰が甘く疼いた。
 友人だと思っていた自分に陵辱されたとき、彼はいったいどんな顔をするのだろうか。
 考えただけで興奮する。

 何時頃から自分の中で彼が性的な対象になったのか覚えていない。ひょっとしたら最初からそうだったのかもしれない。
 テニスに関しては無敗を貫いてきた自分が、最初に負けたのは彼との試合だった。中学に入って何回か試合をしたが、それでも彼には勝てなかった。
 手塚に勝ちたい、という願望が、夢の中では性的欲望として表れているだけかもしれない。支配と服従、それを愛情だと勘違いしているのかもしれない。

 そうだとしたら、手塚にとっては、迷惑この上ないだろう。
 だから言えない。伝えられない。こんな歪んだ感情、知られたら終わりだ。

 読んでいた本を、音を立てて閉じた。壁の時計を見る。
 まだ寝るにはだいぶ早い時間だが、今日は風邪で部活を休んだのだ。そういうことになっている。
 そう思ったら、なんとなく、頭も痛くなってきた。
 明日の朝練にはきちんと出るために、不二は、早めの就寝をとることに決めた。

          :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 携帯電話に相手は出なかった。ちゃんと呼出音は鳴るのだが、何時までたってもそのままだった。
 時刻は夜九時、やや遅い気はするが、寝ている時間でもないだろう。そう思って電話したのだが。
 手塚は憮然とした顔で、呼出を止めた。
 リダイヤルを押してもう一度かけなおそうとするが、ふと、その指が止まった。
 風邪だと言うのが本当だとしたら、もしかしたら、もう寝ているのかもしれない。それなら起こさなくて正解だっただろう。

 リダイヤル画面に浮かぶ「不二」の文字とその電話番号は、そう言えば、教えてもらって以来今まで一度も使った事がないことに、手塚は今更ながら気付いた。


不二塚始めて物語。
二年生の秋。九月の終わり設定。で、二回目は10月7日の誕生日編『青春の蹉跌』に続く訳です。
だから……誕生日ネタの前にUPしたかったんだけどな……終わらなかったよ……

「ふじゆうた」を変換したら「不自由太」と出てきました。
ごめん弟。君も好きだよ弟。コンプレックス大好きなんだよ……。
でもコノミン、これ狙って名前付けてたのかなーとか一瞬勘繰ったよ。

うちの黄金はなんつーか、しっかりしてますね。大人ですね……熟年夫婦というべきか。

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