青春の蹉跌 前編

「昨日、アップルパイ作ったんだ。食べに来てよ、手塚」
 10月上旬の、ある日の放課後の事だった。
 不二のあまりにも突然の誘いに、手塚は当惑した。
「……今日、か?」
「もちろん。これからこれるよね。一緒に帰ろう」
 不二の笑顔には何の悪意もなかった。本人がそれを悪だと思っていないのだから当然だが。
 そもそも、手塚国光という人間は、そんじょそこらの中学生二年生に比べれば格段に多忙なのだ。名門青春学園テニス部部長にして青春学園生徒会会長まで最近就任してしまった。それにあわせて学生の本分たる勉学もきっちりこなしている。正直、今日だっていろいろと予定はあるのだが。
「ちょっと待て、お前、人の都合も聞かずにだな……」
「うん、本屋によって取り寄せてた洋書受け取って、家に帰ってからは英語の予習と次のレギュラー戦の組み合わせと文化祭の模擬店の計画書を片付けなきゃならないんだよね。でもそれぐらいなら、明日の休みにでも出来るんじゃないかな。部活も休みだし、僕も手伝ってあげるし。そう思ったから」
「…………」
 目の前のチームメイトは、どうして自分の今日の計画まで知っているのだろうか。スケジュール帳でも覗いたのか。しかし、そこまで詳しく書いてはいないはずだが。
「君の行動を見てれば大体予想つくよ」
 ……そういうものだろうか。
 あんまり深く突っ込むと、何か、知らなくてもいい事実を知ってしまいそうだったので、言及するのは止めておいた。
「だから、食べに来るよね? この前のお詫びもしたいしさ」
「いや、しかし……」
「食べに来てよ」
「…………」
 笑顔を絶やさずに押してくる不二に、手塚は最終的に妥協した。するしかなかった。「天才」の別名を持つこの人間の思考回路は凡人には理解できないぐらいかっ飛んでいて、下手に機嫌を損ねると酷い目に会う事は重々承知している。……先日も手塚は酷い目にあったところだった。何日かごたごたした挙句、結局、元の鞘に収まったのだが。
 内心でだけ溜息をつきながら、手塚は不二に引っ張られるようにして家路についた。

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 意識が目覚めかけた時、身体はヤケに重かった。
 ぼんやりと目を開くと、そこは記憶にない部屋だった。……いや、そうではない。何回か見たことがある。
 内装で気がついた。これは不二の部屋だ。
「大丈夫? 手塚」
 どこからか声を掛けられる。部屋の主だ。心配そうにしている声で、自分の身に何があったのかを思い出した。確か、不二宅で出されたパイを食べたとたん、急な眠気が襲ってきて……そのまま、眠ってしまったらしい。とすると、ここは不二のベッドの上、ということだろう。
「す……すまない……」
「気にしなくていいよ。よく寝てたしね。疲れてたのかな」
 不二はの声は、妙に上機嫌だった。まだ頭がぼんやりとしていて、視界もはっきりとしない。おそらく、眼鏡を外されているのだ。
 なんとか上半身を起こそうとして、違和感に気がついた。
 上半身はすでに起こされている。
 腰の下にクッションを引いた状態で、足を伸ばして座った状態で寝ていたのだろうか。
「…………?」
 しかし、上半身を起こしたままの体勢で寝ているなんて不自然だ。なんとか手を使って体をもっと起こそうとするが、両手は動かなかった。
「っ……!!!」
 そこでようやく意識がはっきりした。そして自分の格好の異様さに気がついた。
「な……なんだこれは!!」
 両腕は二本まとめられて、胸の前で縛られている。拘束しているのは包帯かと思ったが、縁の部分がレースになっているところから考えると純白のリボンらしい。手首の部分からさらにリボンが伸びており、その先がベッドの頭の部分にくくりつけられている。やや余裕を残しているので、両腕まとめてなら動かせるが、それでも、不自由な事には変わりない。
 だいたい、これでは、ベッドから動く事も出来ない。
 足のほうはどうだろうか、と思って意識を下半身にやると、何やらやけに風通しが良かった。当然だった。下着すら一枚も身に付けていない上、両足を大きく開かれされた状態で固定されている。もちろん白いレースのリボンで。もちろん、股間は丸見えだった。下に敷いてあるクッションのせいで、腰がやや浮いた状態になっているのがまた気持ち悪かった。
「…………!!」
 あまりといえばあまりな自分自身の格好に、手塚は言葉にならない叫び声をあげた。
「気分はどう?」
 不二はベッドの下の方にいた。片足をくくったリボンの先をベッドの足に結び付けているところだった。可愛らしくちょうちょ結びにしている辺りがなんともいえない。
仕事を終えると、不二は嬉しそうな顔でベッドに載ってきた。手塚の剥き出しになっている腿の上に馬乗りになる。
「痛いところ無い?」
 顔を間近で覗き込まれながら聞かれて、手塚は思わず叫んだ。
「何の真似だ!! これは!!」
「……いや、身動きとられたら困るから、拘束してるんだけど」
「……だから何故、こんなことをしているのか聞いてるんだ!!」
「うん、セックスしようと思って。でも君、正直にヤりたいって言ったら嫌がって暴れるだろう? だから、睡眠薬入り紅茶で前後不覚にしたあと、こうして身動き取れなくしてるんだけど」
「な……」
「あ、リボンは、誕生日仕様だから」
 手塚は絶句した。
 ごくごく普通に不二が言うので、一瞬、本当に普通の事かと思ったが。
 だが、脳裏でよくよく反芻してみると、その言葉は最初から最後まで、決して尋常のものではなかった。
「……お前……! 何を考えてるんだ!!」
 声を鋭くして叫ぶ。腕を上下に動かして自分の膝の上に座っている不二の胸を叩いて講義するが、不二は子供をあやすように優しく微笑んだだけだった。
「そんなに恐がらなくてもいいよ。あのね、この前、君に痛い思いさせちゃっただろう?」
「……この前……?」
 いったいいつのことを言われているのか思い出せなくて、その言葉をそのまま繰り返した。すると、不二は丁寧に教えてくれた。
「部室で、君に……」
 ようやく不二の言う『この前』が何を指しているか気付いた手塚は、思わず赤面した。
「な……何を言うんだ!!!」

 少し前の話だ。不二が、手塚に、一年半溜めに溜めてきたその想いを告げたときのこと。

 ……実力行使で半強制的に。

 あの行為はどこからどう見ても、文句のつけようがなく強姦だった。だが、手塚は結局不二のことを許した。
 何故そんな事をされても不二の事を許す気になったかと言えば、相手が不二だったからとしか手塚には言いようがない。

 泣いたのは被害者の自分ではなく、加害者の方だった。
 そんな顔を見せられて、切り捨てられる訳がなかった。

 ただし。
 次回もやっていい、と言うことまで許可したつもりでは、決して、なかったのだが。

 その辺、お互いに、意思の疎通は全くといっていいほどなかった。

 不意に、不二は顔を寄せてくると、手塚の唇に自分のものをゆっくりと重ねた。手塚は抵抗しようとしたが、身動きの取れない状態では無駄だった。
 何日かぶりに味わった唇の柔らかさは、否応なく、以前の行為の記憶を呼び起こした。
「く……」
 舌の侵入を防ごうと唇は固く閉じていたが、無理やりこじ開けられた。口内に入ってくる他人の舌の感触を味わったのもこの前が初めてだった。柔らかい肉隗が喉の奥まで侵入してきそうに感じて咽こんだ。
 不二は口を離すと、咽ている手塚を愛しそうに見つめていた。
「駄目だよ、鼻で息しないと。まだ覚えてない?」
「そんなる訳が……あるか!!」
「そうだよね……慣れるわけが無いよね。……僕、酷いことしたもんね」
 不二が声のトーンを落としたので、手塚は訝しく思った。自分の上に馬乗りになりつつ、横に視線を落としている。少し肩まで震えている。
「手塚、あの時、凄く痛がってたよね……。ちょっと切れて血も出ちゃったし、僕も男相手に入れるのなんて初めてで加減がよく解らなかったし」
「そっ……そんな事、言うんじゃない……!!」
 不二はの何気ない事のように話していたが、手塚にとってそれは立派に言葉責めだった。自分が同性に犯されていたときの回想談なんて聞くだけで虫唾が走る。
 だが、問題は、話し手が聞き手に与える効果を全く意識していないことだった。
「あのときの僕、ちょっと精神的に参ってたから、自分の事ばっかり考えてた……そのせいで君に酷い思いさせた。無理やり押し込んで手荒に扱ったもんね。次の日、辛かったでしょ? ……無理ししちゃってごめんね?」
「止め……ろ……頼む、もう、……」
「泣かせちゃったもんね、『痛い』って大きな声で泣く君に興奮しなかったって言ったらウソになるけど、でもやっぱり初めてなんだから僕も我慢するべきだったよ。本当に反省してる」
「そんな声、出して……ない……」
 不二から目を背けて、手塚は消え入りそうな声で反抗した。穴があったら入りたかった。今だって自分の事しか考えていないくせに。我慢なんかひとかけらもしていないくせに。

「僕、もう君に二度とあんな痛い思いさせたくないんだ……」
 ならばそもそもこんなことをやるな、と。
 何も話せない状態になっていた手塚は、内心でそう叫んだ。

「それに、手塚に気持ちいい思いさせられないのも嫌だし、H下手だって思われるのも嫌だ」
「…………」
 不二の瞳ががほんの一瞬だけ、本気の光を見せたので、手塚は不二の真意を理解できた。
 ……まずいことに、一度目の失敗は、天才様のプライドを甚く傷付けたらしい。
 だが、不二はすぐに笑顔に戻って、身動きの取れない手塚に抱きついてきた。

「で、ちょっと日にちずれてるけど、君の誕生日プレゼントに、うんと気持ちよくなってもらおうと思って……」
「………………」

 そのために、睡眠薬入り紅茶で拉致監禁拘束に及んだ、という訳らしい。
 ……冗談じゃない。

 不二の思考回路に常識の二文字が存在していない事は薄々感じていたが、社会規範すら守れないとなるとこれは著しく問題だ。危険人物を野放しにしておくほど社会は甘くない。犯罪とそうでない行為の区別、倫理や道徳をしっかりと説明しておく必要があるだろう。

 だがとりあえず今は、この状態から宥める方が先だ。
「あのなっ……! 誰にだって、失敗はあるものだ! そんなに気にすることではない!!」
 手塚自身、幾分論点がずれている気はしたが、この際なりふり構っていられなかった。

「……うん、失敗を元に、次に生かすことが大切なんだよね。君いつもそう言ってるよね」
 不二は手塚の言葉を素直に聞いていた。首を縦に振って神妙な顔で聞いている。その素直さが妙に怖いぐらいだった。
「そ、そのとおりだ……」
 だがしかしちょっと待て、その論法で行くと。
 手塚の顔が急激に青ざめた。
「だから今日は前回の失敗を取り戻すために、しっかりがんばるから!!」
 ぐっと拳を握り締めた不二は、手塚の反論など聞いていなかった。
「……そうじゃなくてだな……」
 弱々しい手塚の言葉は、宙に掻き消えていった。

         :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 裏へ続く


二年生の秋、二回目設定。去年の誕生日は三年生設定だし、一年生のは前に書いちゃったし……てわけで。
続きはあいかわらずヤッてるだけので裏行きです。

……肝心のお初が書けてませんが。近日公開予定……すみません……。

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