それはまあ、よく見ないと気がつかないほどの些細な表情の違いではあったが。
手塚国光は悩んでいた。
そのように大和には見えた。
(ふむ……)
放課後の練習も終わり、部室にて着替え中の手塚を大和はひたすら観察していた。
いつもより顔つやに精彩が無い。もともと無表情だがわずかに目の端に愁いを帯びている。髪の毛もどことなく落ち着き過ぎている。
思えば数日前から微妙に調子が悪かった、ような気がしないでもない。彼にしてはつまらないミスが目立っていた。もっとも、当社比ではあるが。いくら素晴らしい才能の持ち主とはいえ、たまにはこういう時もあるか、ぐらいかと思っていた。だが、それの状態が数日も続くとなると少し心配になる。
確かに、よくよく気をつけて見てみれば、あまり覇気が無いようだ。
(あ、溜息……)
肩を落としながら、大きく溜めた息を吐き出している手塚を見たのは初めてだった。
自分の考えは、どうやら間違っていないようだ。
部員のメンタル面でのケアも部長としての大事な役目の一つだ。そう大和は考えている。特に手塚という一年生はその溢れる才能ゆえ周囲から孤立する事も多い。現に今年は既に一悶着起きている。また何か、影で酷い目にあっているのかもしれない。そこはしっかり管理しておく必要がある。
まずは軽く、探りを入れてみる事にした。
「……手塚君、ちょっと」
「は……はい!」
何気なく呼んだんだつもりだったが、手塚は背筋をピンと張って固い答えた。その反応には大和のほうが驚くぐらいだった。
「部長……! な、何でしょうか!?」
恐る恐る、と言ったように振り向く。そんな手塚を安心させるために、大和は柔らかく微笑んだ。
「……そんなに固くならなくてもいいですよ。落ち着いてください」
「す、すみません……」
手塚は心底反省しているようにうなだれた。
(手塚君、生真面目すぎるんですよねえ……それだといろいろ背負い込んじゃってるのかもしれませんね)
とりあえずは、差障りの無い話題から始めるべきだろう。
「どうですか、最近の調子は」
「え……あ、はい。お陰様で、順調……です」
『順調です』と素直に言えない辺りは、手塚自身、最近のミスを気にしているのかもしれない。
「……そうですか? ちょっと集中力がいつもより無いみたいですよ? 凡ミスも目立ちますし……溜息もさっきついてたでしょう」
そう言うと、手塚は恐れ入ったかのように顔を下げた。
「……すみません……こんなのじゃ、俺……」
「あ、いえ、怒ってる訳じゃありませんよ。ただ、手塚君にしては珍しいな、と思ったから、少々心配になりまして……」
本気で落ち込んでいる手塚に、大和は慌ててフォローを入れた。
「何か悩んでいるのなら、話してくださいね。話すだけでも楽になりますから」
安心させるように顔を覗き込んで微笑むと、手塚の頬が少し赤くなった。再び視線が下を向く。
「……でも、俺の問題ですから……部長に迷惑をかけるわけにはいきません……」
「迷惑じゃありませんよ。むしろ、手塚君がこのまま悩んだ状態でいる方が僕には心配です。そのうち心配で御飯も喉を通らなくなって病気になってしまうかもしれません」
手塚は慌てて顔を上げた。
「そんな……」
真剣な手塚と視線を合わせると、大和は再び微笑んだ。
「大丈夫です。話せる範囲で構いませんから、話してみてください」
手塚は素直に首を縦に振った。
:*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:
とりあえず机に向かい合わせに座った。
「さあ、どうぞ」
手塚はまだしばらく逡巡していたが、やがて、覚悟を決めたのか、ゆっくりと話し始めた。
「実は……嫌われている気がするんです。その、部員のある人物から……」
その言葉を聞いて、大和は真剣に眉を顰めた。
「……まさか、また……武居君ですか?」
武居は以前、手塚の腕をラケットでぶった前科がある。その時は大和によって収まり、厳重に注意して、今はなんだかんだ言いつつ真面目に練習に励んでいる。だがまた、手塚への反感がどこかで噴出していたのかもしれない。そう思った。
しかし、手塚はいいえ、と首を小さく横に振った。
「いえ……その、……一年生です」
ん? と大和は首を傾げた。さしあたって、一年生部員は皆手塚に好意的だ。それとも自分の見ていないところで何かあったのだろうか。
「……誰です? 大丈夫です、誰にも言いませんから……」
「あの、……その……」
手塚は流石にそこまでは言い難いのか、何度も口を開けそうになったり閉じたりしていた。大和は手塚のほうに身を乗り出した。
「ちゃんと守秘義務は守りますよ。それとも、僕じゃ信頼ありませんか?」
「い、いえ、そんな……」
手塚は手と首をぶんぶんと横に振って否定した。
そして、動きを止めた後しばらくしてから、小さな声で言った。
「……その……、不二君、です」
それを聞いて大和は、思わず身を乗り出したまま机の上に突っ伏した。
ゴン、と額が机に当たる音が部室内に響く。
手塚は一年生・不二周助に嫌われていると思っている。
だがそれは勘違いである事を大和は知っている。
以前自分もそう考えていた。プライドの高いあの不二が手塚の才能を妬んでいるのではないかと。
だが、本人に直接確かめて、それが大きな勘違いであることに気がついた。
……勘違いどころか、真逆であった。
不二は手塚のことが好きなのだから。
だから思わず脱力した。
「……部長!? 大丈夫ですか!?」
手塚が心配して椅子から立ち上がる。だが、大和はむくりと起き上がると、おでこを抑えながらそれを制した。
「……だ、大丈夫ですよ」
結構な痛さだったが、手塚に余計な心配をかけさせるわけにはいかない。笑顔で手塚に返答した。
「……そ、それより、どうしてそう思ったんですか?」
次の質問に進んでみる。
手塚は椅子に座りなおすと、やや俯いて答えた。
「……それは……あいつ……不二君が、よく睨みつけてくるから……」
再び大和は机で頭を打った。
「特に、部活中とか……」
三度目の音が室内に響く。
「そ、それはですね……」
説明しようとして大和は沈黙した。
不二が睨んでいるのは、正確に言えば、手塚ではない。
手塚にベタベタ構っている大和を睨んでいるのである。
だが、そう説明すると、余計にややこしくなりそうな気がした。
……不二の手塚への想いから説明しないと話が始まらないからだ。
それはさすがに出来なかった。
とりあえず、この誤解だけは解いた方が良さそうだった。
「え、えと……そんなことありませんと思いますよ? 不二君、よく手塚君と一緒にいるじゃないですか……」
「で、でも……不二は、俺の事、きっとずっと怒って……」
いいながら手塚は肩をすぼめた。大和は首を捻った。不二が手塚のことを怒っているとは考え難い。
「……手塚君、不二君に怒らせるような事をした心当たりはあるんですか?」
そう聞くと、手塚はますます下を向いた。
よっぽど答え辛いことらしい。
「こ、これは俺が一方的に悪いんですが……その……」
今にも消え入りそうな声で手塚は答えた。顔が真っ赤になっている。
「不二君が初めて部活に来た時、女子生徒と間違えた事があって……」
四度目。
それは大和には初耳だった。
だがそれゆえに、今まで以上にショックは大きかった。
今度は立ち直れなかった。
「ぶ、部長……?」
「あ、ああ……それは……さすがに……」
机に突っ伏したまま、大和は喉から声を搾り出すように言った。
「……彼でも、怒るかも、しれませんねえ……」
というか問題点はもっと他にあるような気がしたが、とりあえずそう言っておいた。
「そのことをずっと謝れなくて……きっと、それで怒っているんだと……」
身を小さくして手塚は言った。
「ええっと……手塚君、自分に非があると気付いているんですよねえ」
そもそも不二が手塚を睨んでいる理由からして見当違いなので、非があるかどうかはどうでもいいことなのだが。
だが、縺れた糸を解くのに一番いい方法というと。
「ならば、早めに謝りましょう。……謝るのを先延ばしにするから問題が大きくなったように見えるんです。非を認めたら素直に謝罪しましょう」
「ね?」 と顔を上げて微笑んでやると、手塚はコクリと首を縦に振った。
「……俺、こんなのでは駄目ですよね……せっかく、部長に認めてもらったのに……」
しばらくしてから手塚がぽつりと言った言葉を、大和は聞き逃さなかった。
「……どうしました?」
大和が問うと、手塚は下を向いて答えた。
「俺は、人と話すのとか、話し掛けるのとか……あまり得意じゃないんです。だから、不二君に謝ろうとしても、何と声をかけていいかわからなくて……」
「……そうですか……」
「大石君や不二君は……そう言う意味では、凄い、と思っています。部長も……話し上手で、素晴らしいと思ってます」
二人とも、和気藹々と人と会話することが出来るタイプだ。もっとも、その本質は大きく違うようではあるが。自分の場合は話し上手と言うかただ語り好きなだけなのだが。……相手が聞いているか考えずに一方通行で喋るので副部長からはよく怒られたりもする。
だが、どうも無口な手塚にしてみれば、会話が出来る事に劣等感があるらしい。
声を出来るだけ柔らかくして、大和は言った。
「……会話能力とかそうゆうのは、個人差がありますから。性格に大きく左右されますし。手塚君が駄目ってことじゃありませんよ」
慰めるように言うが、手塚はますます頭を下げるだけだった。
「でも、こんな話下手では……部長に言われたように、『青学の柱』になんか……」
「手塚君……」
そこまで自分の言葉を背負い込んでいる手塚に、どういう訳か胸が痛んだ。
思わず手塚の顔に手が伸びた。
頬をそっと包み込んでやる。
「自分の欠点を認めて変わろうと言う努力は大切です。ですが、もしもその理由があの言葉のせいなら、それは間違ってます。……僕は、そういう欠点を持っていたとしても、手塚君だからこそここを任せようと思ったんですよ」
手塚の顔がふっと前に向けられた。
「部長……」
「手塚君は寡黙かもしれませんが、それだけに一語の重みは大きくなります。僕はどっちかと言うととにかくべらべら喋り倒す方ですからそう言う重みに欠けちゃって。……だからね、手塚君は手塚君なりに部を支える方法を考えてくれれば良いのです」
「……でも」
「大丈夫です。君なら出来ます。この僕が見込んだのですから、ね?」
頬の手を頭の上に置き換えて、優しく撫でてやった。見た目よりも柔らかい髪の感触が心地よかった。
手塚は頬を染めて、小さく口元だけで呟いた。
ありがとうございます、という言葉は空気中に掻き消える前に、確かに大和の耳に届いた。
:*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:
「……って言ってましたよ手塚君。ちゃんと誤解解いておきましょうね」
その翌日。校舎裏に不二を呼び出して、昨日の手塚との会話を話した。
不二はその言葉を聞いてみるみるうちに顔色を変えると、振り返って脱兎のように駆け出そうとした。
その学ランの首根っこを大和は捕まえた。
「まだ話は終わってませんよー」
「は……離してください……っ手塚にちゃんと言わないと……っ」
「……いえ、僕がそう言ってたって言われると困るもんで。誰にも言いませんからって聞き出したんですから」
「……守秘義務は何処に行ったんですか」
「今の場合は緊急事態ですから」
不二は嫌そうにしかめっ面をした。普段は愛らしい笑顔でいるだけに開眼して不機嫌そうな顔をしているとその迫力はかなり増している。
「多分手塚君、数日中に謝罪すると思いますから、その時にちゃんと誤解といてくださいね」
「………………」
「ああ、もう、ついでだしいっそ告白しちゃってもいいんじゃないですか?」
「……他人事だと思って……」
「他人事ですから」
さらりと流すと、不二はますます顔を歪めた。
「とにかく、待っていれば良いんですね!?」
口調がかなり荒い。
「そういうことです」
「解りました!」
それだけ短く言うと、不二は大和の手を振り切って歩き出した。
その小さな背中に大和は呟いた。
「……案外、手塚君の方も、脈在りかもしれませんしねえ……」
不二に嫌われたからといって、あれだけ悩んでいた辺り、ひょっとしたら。女の子と見間違えたのだって深読みすればそういうことなのかもしれないし。手塚に全くその自覚はないようではあるが。
面白い事になるかもしれないなー、と大和は口に手を当てて笑った。
:*:・。,☆゚’・:*:・。,★,。・:*:・゚’☆,。・:*:
その後、様子を見ていると、とりあえず手塚と不二は仲直りしたようだった。……もともと喧嘩していた訳でもないのだが。
不二は出来る限り手塚と仲良くなろうと積極的に近づいているし、手塚の方もまんざらではないらしい。手塚の調子も元に戻ったし、これで丸く収まったのだろう。
だが相変わらず、自分を見る不二の視線はかなりキツイものがある。手塚と一緒にいるところを睨むとまた誤解されるので単品の時の敵意がますます激しくなった。まあそれはそれで良いのだけれども。
結局、不二はまだ告白には至らなかったらしい。
だが、コートの端で仲良くしている二人を見ると、まだまだこういう初々しい関係の方が似合うのかもしれない。
……この先、ひょっとしたら自分は相談相手という位置付けになるのだろうか。
微妙に先が見えたような気がした大和だった。
一年時……カプはなんだろう……大和塚で塚不二?(……)
「be in love」の続編みたいな感じで……「World's End」ともこっそりリンクしてたりする訳ですが。
ていうかだいたい、時系列にそって並べるとリンクしてるつもりで書いてるんですが……
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