恋の空騒ぎ 後編

 菊丸の楽観に反して、この後数日間、部内に不穏な空気は続いていた。
 何があったか知らないが所詮二人の間の問題である。他人が口出しする事でもあるまい。だいたいあの二人の喧嘩と言うのは他人から見たら非常に下らない意地の張り合いの場合が多い。不二も落ち込んでいるのではなくて怒っているのだし、自然修復を待つのが一番だろう。
 菊丸はそう思っていたが、大石は見かねて手塚に仲直りするよう持ちかけたらしい。だが手塚はとりあってくれなかったようだ。一蹴されて「関係ない」で終わってしまったと聞いた。
 大切なパートナーの大石が心痛で倒れそうになっているのを見かねて、菊丸は一肌脱いでやることに決めた。

 昼休みに弁当片手に不二の教室に居座った菊丸は、辺り障り無い話題からまずは会話を始めた。こうしている分には不二は普段どおりだった。
 だが、お互いに昼食を終えた辺りで、そろそろ話題を切り出そうと決めた。
 真剣な瞳で不二を見据える。

「……あのさ、不二」
「なに?」

 これと言って普段と変わらない優しげな笑み。だが、この微笑みに騙されてはならない。
 机の下で拳を握り締めて気合を入れる。

「こういうこと俺が言うのもなんだけど、手塚と仲直りしたら?」
「……何のこと?」
 不二は顔に仮面のように張り付いた笑顔のまま首を傾げた。
「別に手塚と、喧嘩したりしてないけど?」
 いつもの笑みといつもの口調。だが、声には異様な圧迫感がある。言外に「口出しするんじゃねえ」という無言の圧力を感じる。
 動物的な本能で菊丸はその場から逃げ出したくなった。
 だが、ここで負けてはならないと自分に言い聞かせる。
「不二と手塚が機嫌悪いと、部活に悪影響なんだよ」

 不二は憂さ晴らしと言わんばかりに容赦の無いえぐい球しか打たないし、手塚はプレイ自体にはほとんど影響は無いがその代わりグラウンドランニングマシーンとしての機能が過剰になる。
 つまり部内のスパルタ度が格段にアップする。
 二年生はとにかく、一年生に泣きが入っている。その苦情係と化している大石の胃壁もかなり危ない。
 この事態を打開するためには、もはや自分しか残されていない、と、菊丸は妙な使命感に燃えていた。
 ……それに不二のプライドの高さからして、こういう言い方の方が効果的だろう。

「……だからこれは不二のためじゃなくて俺や大石やテニス部ののため。友人としてと言うよりテニス部代表として言わせてもらうぜ。……ちゃんと手塚と仲直りしろ」
 そうキツイ語調で言ってから、不二のブリザードのような視線を受けた。
「……してください」
 うっかり敬語になる。
 不二はしばらく黙り込んでいたが、やがて大きく溜息をついた。

「……喧嘩してる訳じゃないよ本当に。ただの意地の張り合いっていうか……だいたい手塚が勝手に怒ってるだけだし」
「………………」

 なんとか話すつもりになってくれたようで、菊丸は内心で安堵した。思わず勝利の雄叫びを上げそうになったが我慢した。
 大石の笑顔が脳裏に浮かぶ。やったよ大石。俺は魔王に勝ったよ。

 そんな菊丸の内心の歓喜を知らず、不二はぽつりぽつりと話しだしていた。
「ていうかどーして手塚が怒ってるのか解らないし。解らないから仲直りしろ、って言われても……」
 ひょっとしたら喧嘩して凹んでいるのか、と思いきや、不二の声はどんどん低くなった。むしろ怒り心頭状態らしい。

「……えと、この前部活前に何か二人で話してたじゃん? それで手塚、怒ってただろ? その時の話が原因なんじゃねーの?」
 数日前の光景を思い出しながら、さりげなく菊丸はサポートを入れてみた。
 不二も顎に当てて考え始める。
「あの時って……」
 机の一点を睨みつけながら不二は答えた。

「手塚がさ、僕に誕生日のプレゼントやるから、何がいいかって聞いてきたんだけど」
「ははあ」
「これと言って欲しいものもないし、別に気持ちだけで十分だよ、って答えたんだよね」
「ほほう」
「そしたら手塚怒って……」
「……え? それだけなの?」
「うん」
 真面目に聞いていた菊丸は思わず倒れそうになった。
 それは確かに、手塚が何故怒ったのかよく解らない。とくに問題のある会話ではないはずだ。
「他にもっと何か……詳しく……」

 不二は少し悩みこんだ。
 やがて唐突に呟く。

「……だって僕、期待してなかったんだよね」
「?」
「手塚から何か与えてもらうなんて。だから『期待してないよ』って言ったら怒って……」
「……えーと……」
「エージとも同じこと言ったでしょ? なのにどーして手塚は怒るんだよ。理不尽じゃない?」
「ちょ、ちょっと整理させて……」
 菊丸は両手で頭を抱えて悩んだ。
 何か不二の言い分が非常におかしい気がする。

 手塚は不二にプレゼントを渡そうとしていた。
 だが不二は「期待してないからいらない」と答えた。

 ……それは、自分の場合とは事情が違う気がする。
 さすがに手塚だって怒るんじゃないだろうか。
 まず、どうして不二が手塚からのプレゼントを遠慮する必要があるのだ。

「……つーか不二、手塚がプレゼントくれるって言ってるのに、嬉しくないの?」
「……え?」
 不二は呆気に取られた様子で菊丸の方を見た。
 思いも寄らないことを言われたみたいだった。
「だって、不二、手塚のこと好きなんだろ?」

 その感情が友情ではなく恋愛でもなんでも菊丸には構わないが、とにかく不二は手塚に対して特別な感情を抱いていることは間違いない。
 ならば普通誕生日を気にかけてもらえれば喜ぶはずなのに、何故「期待していない」などと突き放すようなことを言ったのだ。
 それがまず問題だ。

「そう、だけど……でも、手塚から、何かもらうなんて……」
 不二の歯切れが悪い。

 いったん言葉を切ると、神妙な顔で虚空を睨みつけて何か考えていた。
 その間、約数分。
 そしてぽつりと口を開く。

「言われてみればひょっとして、アレって絶好のチャンスだった?」
「……うん、よくわからないけど多分」
 何の絶好のチャンスか菊丸はよく解らないし解りたくもなかったが、とりあえず肯定しておいた。

「なのにどうして、『期待してない』とか『いらない』とか言ったんだよ。あの手塚が不二に好意からそういう申し出してくれたんだぜ? それを無駄にしたんだぜ?」
 菊丸はだいぶ疲れてきていた。
 大きく項垂れながら溜息混じりに言う。
「逆の立場で考えてみろよ。プレゼント渡すときに、手塚にそんなこと言われたら不二だって怒るだろ?」

 ここまで詳しく説明しないと話の通じない不二も珍しい。
 ……というか、この天才は、自分に向けられている好意に対しては妙に鈍感なところがある。
 手塚がそんな形で好意を示そうとする相手なんて、不二しかいないというのに。

「手塚の気持ちも、考えてやれよ」
 不二は微かにうろたえたようだった。彼としては珍しい光景だった。

「だって……本当に手塚からプレゼントなんて、考えてなかったし」
「……不二、手塚の誕生日に何かしたんだろ? 律儀の塊みたいな手塚ならお返しの一つや二つ考えるって思わなかった?」
「うーん……そう言われてみればそうなんだけどさ」
 不二は少し迷ったあと、おもむろに口を開いた。

「なんていうか、そもそも、自分の誕生日ってものが実感なくて」
「へ?」

 突然話題が変わったので、菊丸は素っ頓狂な声を上げた。

「また、そんな……どーして」
「なんせ29日だし、弟も誕生日2月だし、毎年親は別々に祝ってくれるけど、やっぱり気分的に弟のついでっぽく感じるっていうか……そしてその日自体も四年に一回しか来ないし。だから祝ってくれるって言ってもなんか実感なくて」
「うーん……そーゆーもんかなあ」

 菊丸家も確かに、誕生日の近い兄弟はまとめて祝ってしまうので、ついでみたいに扱われるという不二の気持ちはなんとなくわかる気がした。加えて、2月29日という特殊な日となると、普通の人より誕生日に対する執着みたいなものが薄いのかもしれない。

「でも、それならそうだってちゃんと言って、手塚に謝れよ。それとちゃんと手塚の好意を素直に受け取ること」
 不二はなんだかまだ何か言いたいことがあるようだったが、もう昼休みも終わりに近かったので、菊丸は強引にまとめた。
「解ったな?」
「……解ったよ」
 しぶしぶながら不二はそう認めた。

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 慌しく菊丸が去っていったあとの教室で、不二は自席に座りながらぼんやりと窓の外を眺めた。
 2月とはいえ、よく晴れた日なので窓から差し込む陽光が心地いい。
 だが、気分はそれとは正反対だった。

 本当の理由は、誕生日がどうこうというところではない、と不二自身は解っていた。
 それも一因ではある事は間違いないのだが。

(……手塚に、何かしてもらうのが嫌なんだ)

 菊丸はその好意を素直に受け取れ、と言うけれども。
 好意自体が要らないというのに、どうすればいいのだろう。
 この前と同じ胸の痛みがよみがえってくる。
 針のように胸を指す痛みに、少し目を細めた。

 手塚から欲しいものが、決してないわけではない。
 だが。

(だって僕が本当に欲しいものなんか、手塚がくれるはずがなくて)

 そんなことは、最初から理解している。
 ねだっても泣きわめいてもそれは自分には手に入らないものだから、とっくの昔に諦めている。
 期待するだけ無駄なものだ。

(……でも多分、それは逆だ)

 手塚は今もこれから先も、ずっと、何も不二に与えてくれないだろう。
 彼はひたすら前へと進むだろうし、自分はそれを後から追うことしか出来ない。
 だから自分は手塚を好きになることが出来た。
 そして好きでいられるのだ。

 だから決して、手塚から何か与えて欲しいわけではない。
 このまま手塚を好きでいるために。
 多くは望まない。自分は手塚を追うだけで十分なのだし。
 与えるだけでいいのだ。

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 放課後になって部活前、手塚は再度、スケジュール帳を見ていた。
 このまま部活に行くと思うと、どうしても腰が重くなった。

 不二が自分と話さなくなって、数日が過ぎる。
 そのことで大石その他に心配をかけていることは承知しているが、所詮自分たちのつまらない喧嘩に他人を巻き込むわけにはいかない。
 先に怒ったのは自分の方だ。
 だから謝罪するとしたら自分の方だとは思うが。
 だが、不二には、やはりいまだ憤りを感じている。そのような気持ちで謝罪しても泥沼になるだけだ。

 不二は自分に対し「期待していない」と言い切った。
 自分の好意が無駄にされたから許せないのだろうか。それならば勝手に好意を申し出て勝手に失望している自分の方が身勝手だと言うことになる。

 だがそうではなく、不二も相当身勝手だ。その記憶は数え切れない上に嫌な思い出しかないが。
 あれだけ自分に好意を示しておいて、こちらからの好意は要らないと言う。
 身勝手以外の何であろうか。

(だいたい、あいつはあの時も……)

 そう考えて最初に無理やり抱かれたことの時を思い出して、手塚は項垂れた。
 思い出したくないことの筆頭だ。あんな場所にモノを突っ込まれるという、なんとも言えない屈辱。
 あの時も不二は身勝手に一方的に思いだけ告げて、そして自分との関係そのものを終わらせようとした。その時はなんとか丸く治めたが。
 そのあともずっと基本的に不二がすることは一方通行だった。
 手塚は戸惑いながらも、与えられるがままにその好意を受け入れるだけだった。

 これでは正しい人間関係だとは到底思えない。
 そもそも、自分たちの場合、関係自体がどういうものかすらあやふやなのだが。
 ふとその事に思い至った。

 だがとにかく、このまま仲違いを続けている場合ではない。
 何かしら不二に送ってやりたい、という気持ちも変わってはいない。「期待してない」などと言われたからにはなおさらだ。
 月末まで、あと数日。
 もう一度、話をしてみる必要があるようだった。

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 放課後の練習が始まった。
 ランニングと基礎トレーニングを終え、順番待ちで不二はコートを眺めていた。シングルスの模擬試合で、今の対戦カードは大石VS菊丸だ。普段ダブルスのペアのシングルス対決だけに、他のコートで試合中の部員以外の注目は皆この二人の試合に集中していた。
 部活中に私語をするのは気が引けるが、今なら、多少長話になっても差支えあるまい。そう思って、おもむろに手塚は不二に近寄った。
 数日ぶりに声をかける。
「……不二」
「……何?」
 一見、普段と何の変哲もない緩やかな声だった。だが、ピリピリしている雰囲気は手塚にも感じ取れた。
 むしろ、わざと感じ取れるようにしているのかもしれない。

「……この前は、急に怒り出すような真似をして悪かった。自分でも身勝手だったと思う」
 手塚はまず、素直に自分の非を認めた。
「ああ、別に気にしてないよ?」
 軽く口元を上げて、不二はそう返した。
「こっちもごめんね。君があまりにも珍しいこと言うから、驚いちゃってさ」
「………………」
 やや毒の含まれた口調だったが、ここで腹を立てていてはこの前の二の舞だった。

「……ではもう一度聞くが、……何か欲しいものは……」
 不二はやはり笑って答えた。
「だから気持ちだけで十分だよ」

 その笑い方が手塚には気にかかった。
 何かを割り切った人間だけが浮かべる、諦観の笑み。

「……俺には期待していない、からか」
 期待すること自体を諦めているのか。
 その言葉を手塚は繰り返した。不二は手塚がそう返すとは思っていなかったらしく、笑みを止めて目を丸くした。
 だがその瞳も、すぐに細められる。
「そうだよ」
「………………」

 不二は、自分から何か与えられる事を期待していない。
 最初から、諦めている。
 そのことが訳もなく無性に腹立たしく感じた。
 言葉にしたかったたが、上手く言い表す事の出来ない感情だった。
 期待していない不二も勝手だが、期待されることを求めていた自分も勝手と言えば勝手なのだ。

(……結局、お互いに身勝手なんだな)
 手塚はふとそう思った。
 そして今までもそうであったことに気付いた。

 これまでは、不二が能動的に身勝手なら、手塚は受動的に身勝手だっただけだ。
 一方的に与えるだけの不二と、一方的に与えられるだけの自分。
 それが手塚の感じたバランスの悪さだった。
 なんとか少しでも直そうと手塚は努力してみたが、それこそ無駄だったらしい。
 お互いに一方的だったので、不二は与えられ慣れてないし、自分は与え慣れていない。
 相変わらず関係は不釣合いなままで、直そうと思ってもそうは簡単に直らない。

 外野では、大石と菊丸の試合がお互い一歩も譲らないまま続いている。
 ギャラリーから歓声が上がるのを聞いて、不二の視線がコートに戻った。
「もうこの話題はよそう? ほら、部活中だし、私語は慎めって……二人の試合も面白そうだし……」
 だが手塚はコートの方は見なかった。

「……俺は、お前が期待するに値しない、か」
 呟くように言う。独り言のような小さな声で。
「お前は、俺から何も与えられたくないのだな」

 その言葉で、手塚の方を振り向いた不二の笑顔にわずかにヒビが入った。

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 手塚の言葉の意味が、不二にはよく解らなかった。黄金ペア対決に一瞬取られた意識もすぐに引き戻された。
 思わず真顔で手塚の表情を伺う。
 対する手塚は、普段と変わらぬ無表情で自分を見ていた。
 その冷静さがやけに憎たらしく感じた。

 手塚は普段鈍感なせいか、肝心なところだけは奇妙なまでに鋭いところがある。
 そのような自分の心に土足でずかずかと入り込んでくるような真似は、不二には耐えられなかった。
 ……それを手塚は当然のような顔で行うから、さらに性質が悪い。

「……そう。君から何か与えられたいなんて思ってない」
 顔から、何時の間にか笑顔は消えていた。

 欲しいものはいつだってたった一つだった。
 だけどそれは絶対に手に入らない。
 期待なんか出来ない。

「……だって手塚は、僕が欲しいものは絶対にくれないから」
 そう言われて、手塚は少し眉根を寄せた。
「言ってみないと解らんだろう」
「言ったって無駄だよ。君がくれるはずないもの」
 不二は皮肉げに口元を歪めた。

「だいたいね、あれだけ僕に好き放題されといてさ、よく『誕生日に何が欲しい?』なんて聞けるよね? そんなの一つに決まってるじゃん。それとも、僕の口からそう言われたかったってこと? 何時の間にそんなに色ボケになったんだい?」
「っ……」
 不二の意味していることが予想できたのか、手塚はわずかに下を向いた。
 随分理解が早くなったな、と不二は嘲笑した。
「隠したって無駄だよ。顔、赤くなってるでしょ」
 辛辣な口調で手塚を責める。
「そーゆーことわざわざ言うと君が嫌がると思ってたから、黙ってたのに。言わせたのは君だからね」
「お前……!」
「でさ、もしも僕が君に口でして欲しいとか自分で乗って腰振って欲しいとかとかそういうことお願いしたら、君は受け入れてくれるの?」
 冷笑している不二に、手塚は吐き出すように反論した。
「今は……そういう問題じゃ……ないだろう……!」
「そういう問題だよ。やっぱり無理だろう? だから君は僕の欲しいものなんて与えられない」
「それは……」

 黄金ペアの試合は終局を迎えたらしい。ギャラリーの声援はちょうど五分五分で一層盛り上がっていた。
 だが、その歓声も、不二にどこか遠くのものにしか聞こえなかった。

 言いよどんでいる手塚に、不二はさらに畳み掛けた。
「じゃあ、例えばさ、今ここで手塚からキスして、って言ったら?」
「……」
「それがプレゼントでいいよ。だから今キスしてみせて」
 手塚の顔が強張ったのを見て、不二はますます表情を歪めた。
「出来ないだろう? それでなくても手塚から何かすることなんか一度もなかったよね。まして、神聖なる部活中に公衆の面前でキスなんか君はしない。絶対にしない。するはずがない」

 手塚の固く握った拳がわずかに震えているのを確認した。
 今にも殴りかかろうとするのを我慢しているようだった。

「ほら、やっぱり、僕が諦めるしかないんだ……」
 そう言った瞬間、手塚の拳が伸びて不二の胸倉をぐっと掴み上げた。

        :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 よく考えれば、不二がプレゼントに肉体関係を要求する事など事前にわかっていたはずだが、あえて手塚はそれを思考から除外していた。
 そんな品性が疑われるようなネタを思いつきたく無かったことが理由の一つにあるが、それと並行して、もう一つ。
 身体のつながりだけが、二人の関係じゃないだろうと思ったからだ。

 だが不二は、ある意味予想通りに、肉体関係を持ち出してきた。
 無論、そんな要求を手塚が飲めるはずが無い。手塚自身は出来ればあんなものやりたくないと常々思っているのだ。いつもの行為だって不二の一方的なものに過ぎないと言うのに。

 実際のところ、身体だけの関係に拘っているのは、手塚ではない。おそらく不二の方だ。
 何故なら不二は、身体以外のものはもはや笑って諦めているからだ。

 だから「諦めるしかない」と言った不二に、どうしようもない憤りを感じた。

 練習中であることを忘れて、思わず不二の胸倉を掴み上げる。

「いい加減にしろ。……だから、お前は身勝手なんだ」
「な、なに……」

 何か言おうとした不二の言葉は、そこでストップした。

 手塚の顔が、持ち上げている不二の顔にさっと近づく。
 そして、白い鼻の頭に軽く唇が触れた。
 まばたきするほどの、ほんの一瞬だけ。

 そしてすぐに手塚は不二を手放した。
 時間にして、わずか数秒のことだった。

 二人の間に訪れた沈黙とは対照的に、コートの中は賞賛の声に満ち溢れていた。
 大石と菊丸の試合に決着がついたようだった。
 だがそれは、遠い世界の出来事であった。

「………………………………………………………………………………………………」

 長い沈黙のあと、不二は身体から力が抜けたのかぐにゃりと地面に座り込んだ。
 鼻の頭をゆっくりと手で抑える。
 かぁっと頬に赤みが差した。

「…………………………………………………………………………!!!!!!!!!!!!!!!」

「少し早いが、これがプレゼントでいいのだろう。大石たちの試合も終わったようだ。そろそろ順番だぞ」

 手塚は明後日の方向を見ながら早口でそう言った。
 すぐにギクシャクした足取りで不二から離れて部室に向かう。

 不二はまだ、呆然とその場に腰をおろしたままだった。
 円く目を見開いて、ひたすら呆けている。
 手塚が部室の中に入った辺りで、ようやく我を取り戻した。

「………………ってええっちょっと待ってよ何それ今のっていうか鼻ってずるくない!?」

 まだ腰が抜けて動けない不二が叫ぶが、手塚はすでに部室に退避していた。
 その声で青学NO.2の異常に気付いた部員達が、ようやく不二の方を気にし初めていた。

           :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 その日の練習も終わり、手塚と不二の喧嘩が終わったことに安堵しながら、大石は制服に着替えていた。
「いやあ、よく解らないけどよかったよ、ほんと……」
 鼻歌交じりにシャツを脱ぐ。
 放課後の練習開始前はまだ二人ともピリピリしていた。だが、練習を終えてみると妙なしこりのようなものはあったが、少なくともここ数日の肌に突き刺さるような空気は二人の間から消えていた。しかも今日はどうも一緒に帰ったらしい。おかげで大石を筆頭とする二年部員は胸をなでおろしていた。

 ……ただ一人を除いて。

「……そーだね」
 菊丸は大石の隣で着替えながら、暗い瞳で同意した。
 今現在部室に残っているのは黄金ペアの二人だけである。今日は練習試合で直接対決があった。そのことを話しているうちに遅れてしまったのだ。
 パートナーの表情が暗いので、大石は首を捻った。
「どーしたんだエージ? エージが仲介してくれたんだろ? 本当助かったよ……」
「んにゃまあ……不二を焚きつけたけどさ……俺はあんまり効果が無かったみたいっていうか……」
「まあ、終わりよければ全て良し、と言うじゃないか。ああ本当に良かった……」
「………………」

 心労から解放されて大石は心底嬉しそうだった。
 だから菊丸は言えなかった。
 試合中にふと目に入ってきた、衝撃の光景を。
 あの時ほど自分の動体視力の良さを呪った時は無かった。

 大きな溜息をつく菊丸に、大石が心配そうに声をかけた。
「エージ、ひょっとして、今日の試合で負けて……それで機嫌悪いのか?」
「いや、そーゆー訳では……」
 確かに、それは一因だと言えなくもない。だが、大石と自分はシングルスではほぼ互角なので、負けたこと自体は悔しい訳ではない。
 問題は、負け方だ。

「しかし最後、あれ、絶対取れるボールだっただろ? どうしてミスしたんだ?」
「……聞かないでくれ……頼む……ううう自己嫌悪で死にそう……」
 大石マッチポイントで迎えた最後のラリーで、後がない菊丸の猛攻に対し大石の打ったボールは高く上がった平凡なロブだった。
 皆が、これは菊丸の絶好のチャンスだと思った。
 だが、菊丸はどういうわけかその場から一歩も動けず、みすみすチャンスボールを逃した。
 それで大石の勝利となった。
「まあ、エージが言いたくないなら、聞かないけど……」
「ほんと反省してるよ……」

 あの時、大石の動きを追っていた菊丸は、ふとコートの外に視線が行ってしまった。
 そこにいたのは、手塚と不二だった。
 すぐに菊丸だって意識をコートの中に戻そうとしたが、手塚が突然思いも寄らない行動に出たせいで目が離せなかった。
(何やってんだよあいつら……もー……)

 おかげで絶好のチャンスを逃して負けた。
 自分でも最悪だと思うが、もっと悪いのは間違いなくあの二人だ。
(結局痴話喧嘩じゃないかよ……)
 そう思ったら、わざわざ仲介役を買って出ようとした自分が馬鹿馬鹿しくなった。

「あー!! 今日は何か食べて帰ろう、大石!!」
「え? まあいいけど……胃もなんとか持ち直しそうだし……」
「さすが大石!!」
 空元気で大石の肩に手を回しながら、菊丸は半分自棄になっていた。

 終わる。


天才様の誕生日話だったはずがただの痴話げんかに……いろいろと消化不良ですが。
……で、これで味をしめた天才様は来年度塚に酷い要求をするわけですな。おおお話が繋がった……(偶然)。
しかし今月の教訓は、ちゃんとネタは事前に考えとけってことですな……申し訳ない。

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