青春学園の放課後、二年生の教室では授業を終えた生徒の喧騒に満ちていた。
その中で、スケジュール帳を見つめながら、手塚は一人真剣な顔をしていた。
眉間の皺がいつも以上に深くなっている。
「……………………」
視線の先にあるのは、2月の末日。
不二の誕生日である。
10月の自分の誕生日の時、不二は祝ってくれた。
だから、当然、そのお返しの意味をこめて何かせねばならない、と律儀に手塚は考えていた。
……例え、その祝い方が口に出しては言えないものであったとしても。
その時のことを思い出すと手塚としては居た堪れない気分にしかならないのだが、それはそれとして。
とにかく何か返してやらなければならない。
とは言っても、相手の喜ぶものが浮かばない。そもそも人にプレゼントを渡すという行為に手塚は慣れていない。不二の趣味は聞いたこともあるが、写真やカメラには詳しくないので何を渡せばいいのかよく解らない。
プレゼントなど何を渡しても良いし、大事なのは気持ちだろう。
しかしそうは言っても、できれば喜んでもらいたい。
喜ばれるものを渡したい。
(やはり、本人に聞いてみた方がよいか……)
プレゼントを渡すのにあまり良い手段とは思えなかったが、下らないものを渡すよりはマシだと思えた。
だが本人に聞くとなると、プレゼントを用意していることがばれてしまうし、そして何より、自分が不二にプレゼントを用意しようと考えている事実を明かすのが手塚には耐えられなかった。
……つまり、恥ずかしいのだ。
家族ならとにかく、他人に誕生日プレゼントを用意するなど手塚にはほとんど縁がなかった。ましてや、相手はあの不二だ。所詮これは自分の誕生日の時のお礼に過ぎないのだから、さっと渡してさらっと終わりにしたい。
かと言って、つまらないものを渡す訳にはいかない。
懊悩しまくった結果、羞恥心を我慢して、本人に尋ねてみるしかないと言う結論に達した。
覚悟を決めて、手塚は手帳を閉じた。
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部室に向かって歩いていると、前方に薄茶色の頭が見えた。間違いなく問題の人物だと思った。
ここで会えたのも何かの縁だろう。
歩く速度を少しだけ上げて、声をかける。
「……不二」
名前を呼ばれて、不二はようやく手塚に気付いたように振り向いた。
「ああ、手塚」
挨拶代わりに不二は軽く微笑んだ。その顔だけ見ていると線の細い大人しい少年に見えるが、中身の言い知れない苛烈さは同学年なら皆知っていることだった。外見と中身のギャップがここまで激しい例も珍しい。
二人で並んで部室へと向かう。
「どうしたの?」
そう問われて、手塚は少し黙り込んだ。
誕生日プレゼントを聞こうと決意したのはいいものの、いざとなると何と切り出していいのか解らなくなった。
「あ、あのな……月末だが」
「……月末?」
不二はきょとんと首を傾げた。何のことか解っていないようだった。自分の誕生日だというのに。
「えと、何?」
「だ、だから……誕生日だろう、お前の」
そう手塚に言われて、不二はようやく思い出したようだった。ぽんと両手を叩く。
「ってああ、そーだったっけ。そんなもんもあったよね……」
「『あったよねー』……って、あのな……」
手塚は少し落胆した。
本人は全然気にしていなかったらしい。
というか、誕生日自体忘れていたようだ。
「俺の誕生日はしっかり覚えていたというのに……自分の誕生日ぐらいな……」
「え? んーでもほら僕、29日だし。あんまり無いし」
それで忘れるものでもあるまい、と手塚は思った。
「だが、年を取るのは間違いないだろう」
「まあね……」
「………………」
そもそも不二は手塚の誕生日やクリスマスやバレンタインなどの祝日系には手塚からみれば異常なまでの関心を示してきた。だというのに不二自身の誕生日に関してこれだけテンションが低いのはどういうわけか。
乗り気でない不二に違和感を抱きながら、手塚は話を続けた。
「そ、それでだな……10月の時のお返しもあるし、何か……その」
「……え、それって……」
ここまで話しても、不二は話の要点を掴んでいないらしい。
そしてようやく何かに気付いたように目を見開いた。
「……ってつまりそれ、僕の誕生日に?」
不二は目をぱちくりさせた。顔に驚愕の表情が浮かんでいる。
ここに来てはじめて手塚の言いたいことを理解してくれたようだった。
「『何か欲しいものはあるか?』ってこと?」
「………………」
手塚は無言で肯いた。
わざわざそのような事を聞く自分が恥ずかしかったので、そのまま顔は上げなかった。
不二は思案しているのか少し黙り込んだ。
だが、しばらくして、あっさりとこう言った。
「ん……別にいいよ」
「…………?」
「これと言って得に無いし」
今度は手塚の方が驚きで顔を上げた。
不二はいつものように微笑んでいた。
「わざわざプレゼントなんて用意してくれなくていいよ」
はっきりそう言う不二に、手塚のほうが途方にくれた。
「し、しかし……だが、お前、俺の誕生日には……」
10月の手塚の誕生日に、不二は自分のことを祝ってくれている。その気持ちのお返しはしたい、と手塚は思っていた。
だが不二は困ったように眉根を寄せた。
「……っていうかアレ拉致監禁拘束プレイだったんだけど……そんなによかった?」
「ケーキの方だ!!」
手塚は顔を真っ赤にして否定した。
確かにあの時、不二は睡眠薬入り紅茶で手塚を拉致監禁に及んでそのままコトに及んでいる。曰く「気持ちよくしてあげようと思って」らしい。しかしはっきり言って気持ちよかったのは不二の方だけではないかと手塚は思う。
しかし、その行為はとにかく、自分の誕生日を祝おうという気持ちだけは嬉しかったのだ。
なのに、不二は、プレゼントはいらない、と言う。
どういうことだ。
「……とにかくだな……本当に、何も、いい……のか?」
恐る恐る発した手塚の問いに、不二は屈託の無い笑顔で返答を返した。
「うん。……まあ月並みに言うと、その気持ちだけで十分ってところかな」
「しかし……それでは……」
手塚としてはまだ何か納得のいかないものがある。
上手く言い表せないが、何か。
「俺ばかり、いつも、もらってばかりで……」
だいたい、不二は誕生日もクリスマスもバレンタイン、その他何かことあるごとに自分に何かくれていたというのに。
手塚から、何か渡したことは一度も無いのだ。
そのバランスの悪さが気にかかる。
手塚がその居心地の悪さをどう言葉にしようかと考えていると、不二がその先手を取った。
相変わらず薄く微笑んでいる口元から、静かな声が漏れる。
「与えるだけでいいんだ、僕は」
「…………?」
「……君から何か与えてもらえるなんて、期待してないし」
思いがけない言葉に目を見開く。
一瞬、鼓動が止まったようだった。
「期待してない」と言われた。
どうして、そうなるのだ?
そう言えるのだ?
「んじゃ、本当に、気持ちだけで十分だから。部活行こう?」
手塚に背を向けて不二は歩き出した。
だが、手塚は少しの間その場に立ち尽くしていた。
頭の中で不二の言葉を反芻し自問自答しているうちに、何故か怒りのような感情が込み上がってきた。
「……待て」
呼び止められて、不二は再び振り向いた。
「今度は何?」
「……『期待してない』とは、どういう意味だ」
表情が険しくなった手塚に気付いたのか、不二の語調も少し剣呑さを増した。
「……言葉どおりだよ。期待したって無駄だし。無駄なことは嫌いなんだ」
「どうして無駄なんだ」
「意味がないからだよ」
暖簾に腕押しだった。お互いに一歩も引かない。
不二の言い方では、自分の好意自体が、まるで無駄で意味が無いようではないか。
奥歯を噛み締める。
「……お前は」
手塚の言葉の低さに、不二が少し身構える。
二人の間に緊張が走る。
「おーっす!」
だが、そんな緊張感は能天気な声で打ち破られた。
「何話してるのん? 部活始まるぜ〜!!」
「菊丸……」
後ろから来たのは同じ二年生、菊丸だった。場の様子を全く解していないような明るい声で二人の会話に割り込む。
他人に聞かれたい話題ではないと判断した手塚は、会話を切り上げて部室に向かって早足で歩き出した。
「……行くぞ」
二人の方を振り向かずに先に進む。
不二の冷たい視線を感じたが、無視することにした。
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「どしたの、手塚?」
菊丸の問いに、不二は手塚の方を見ながら答えた。
「んー……怒らせたみたい」
「どして?」
「ちょっとね……よく解んないんだけど」
「ってか……不二も怒って……」
そう言う菊丸の方に不二が視線を巡らすと、菊丸はどういうわけか背筋を強張らせて謝罪した。
「! ……ご、ごめん」
理由はわからないが菊丸の顔色はわずかに青くなっている。身体は微かに震えている。自分はただ普通に菊丸の方を見ているだけだというのに。
「と、とりあえず部活行こう! な!? これ以上手塚怒らせたら問題だし!!」
「そうだね」
手塚の後を追う形で二人も歩き始めた。
ことさらに明るい口調で菊丸が話し始める。
「そーいえば、ほら、不二もうすぐ誕生日だよな!?」
「そうだね」
「なんか、欲しいもんとかある?」
気を使ってくれる菊丸に感謝しながら、不二は軽く受け流した。
「……あはは、エージには期待してないよ。どーせ今月もお小遣いピンチなんでしょ?」
そう返すと、菊丸は一瞬言葉に詰まった。
「さすが不二……俺の事よく解ってるにゃー……。そう言ってもらえるとありがたいよ……んじゃ気持ちってことで」
「うん」
それで誕生日の話題はひとまず終わりになった。
菊丸の話を半分聞き流しながら、不二はぼんやりと考えていた。
先ほどの手塚との会話だ。
手塚と話した内容は、ほとんど菊丸との会話と大差なかった。
それなのに手塚はどうやら腹を立てたようだった。
(エージはこれで、納得するんだけどな)
……どうして手塚が怒ったのか。
誕生日プレゼントなんて気にしなくていい、と言っただけなのに、どうして自分が怒られなくてはならないのか。
思い出したら気分がムカムカしてきたが、また菊丸に指摘されるだけなので顔に出すのは極力抑えた。
会話自体が同じ内容でも、手塚と菊丸では自分の中での位置付けは異なる。その差のせいだろうか。しかし、そうは言っても。
(……だって、本当に、期待してなかったし)
手塚が自分の誕生日に何か渡そうとしているなんて、正直おかしい。
どこかおかしくなったんじゃないかとしか思えない。
そもそも手塚が自分の誕生日を覚えていたこと自体が不二にとっては驚きだった。自分だってあんまり気に止めていなかったというのに。あんな風に他人に気遣えることが出来る人間だとは思わなかった。
だが手塚にあのような事を言われると、何か、居心地が悪いような気分になる。
そんなのはおかしい。
何がおかしいのかよくわからないが、とにかくどうしようもない違和感がある。
嫌悪感、と言い換えてもいいような。
そう考えた瞬間、わずかに胸が痛んだ。
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その日の部活では、副部長の大石の胃痛がピークに達していた。
まず、手塚が何気にピリピリしている。いつもよりグラウンドを走らせる回数が多い。
加えてNO.2の不二がいつもより恐い。穏やかな笑みがいつもと変わらない分余計に距離の取り方が解らない。だが、練習相手の一年生が恐怖に怯えていたところを見るとよっぽど不機嫌らしい。
二人の相手をするだけでだいぶ神経をすり減らしてしまった大石だった。
部活が終わり、やつれた表情で大石は部室のロッカーにもたれかかっていた。
その心労を見かねた菊丸が労いの言葉をかけた。
「……お疲れ、大石」
「あ、ああ……」
声に全く生気が無い。菊丸は溜息をついた。
問題の二人は先に帰ってしまっている。今現在、部室にいるのはダブルスペアの二人だけだ。
「にゃー……ほんとに大丈夫?」
「……しかし、いったいどうしたんだ、二人そろって……」
項垂れた大石の問いに、菊丸は少し答えを迷った。
自分の推測に過ぎないが。
「ん……部活の前、ちょっと話してたみたいだけど……その時かなーって……」
顔を両手で覆っていた大石は、指の隙間から菊丸のほうを伺った。
「……つまり、その時から、喧嘩してる……ってことか?」
「……そーみたい……」
二人は顔を一度見合わせてから、大きく肩を落とした。
基本的に、あの二人は周囲が思う以上に仲がいい。それはまあ、不二の手塚に対する好意があまりにもあからさまだからであるが。しかし、手塚もそれを嫌がっているようには見えない。
だが、時々、妙に険悪になる時期がある。
今回もその一例らしい。
手塚は仏頂面がますます悪化するだけだし、不二も基本的には普段と同じ笑顔なので慣れていないものにはどこがおかしいのかよく解らないだろう。だが、二年近く同じ部活で活動している身としては、少なくとも悪化した雰囲気ぐらいは感じ取れる。
「……全く、ちゃんと仲直りしてくれよ……」
大石が胃を抑えたまま蹲った。
それを痛々しげに見つめていた菊丸は、ふと、視線を遠くに泳がせた。
「でもさ……」
ぽつりと呟く。
「……手塚があんだけ感情剥き出しになるのって、不二のことだけなんだけどなー……」
その声は小さかったので、持病と化しつつある胃炎に苦しんでいた大石にはあまり聞き取れなかった。
「ん? 何か言ったか、エージ?」
「……んにゃ、別に」
大石の質問をはぐらかして、菊丸は立ち上がった。そして大石の腕を掴んで引きずり起こそうとする。
「ま、またそのうち勝手に仲直りしてるだろーし、心配ないって〜」
「そ、そうは言ってもだな……」
「ほらほら、おーいしは心配性なんだから……」
なんとかパートナーを宥めると、菊丸は大石に肩を貸して帰り始めた。
続く。
天才様ご生誕記念……のつもりで書き始めたら喧嘩してしまいました。
犬も食わないアレでず。
ちなみに二年生設定で。つまり手塚の誕生日編「青春の蹉跌」の続き、みたいな感じですな。
うるう年にしてたんですが……よく考えりゃ12歳と16歳でうるう年になる計算なんだから中学時代に誕生日来ないのね……
すいませんちょっと手直ししました。
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