八月上旬、数ヶ月ぶりに手塚が宮崎から帰ってくるその日は、ちょうど近所の川で花火大会が行われる予定だったので。
「じゃあ花火見に行かない?」と誘ったのは不二の方だった。
久々に帰ってくるのだしその日ぐらい家族サービスをさせてあげるべきかな、とも思ったので、不二はあまり強引に参加を要求することはしなかった。だが手塚は思った以上にすんなりOKしてくれた。もっとも、テニス部レギュラー陣全員参加で見物に行く予定だったところに手塚を誘ったのだから、それで諒解してくれたのかもしれないが。
何にせよ、不二は特に他意はなかったのだ。
もちろん下心さえも。
だというのに。
手塚家に直接迎えにきた不二の前に姿をあらわしたのは、浴衣姿の手塚国光14歳だった。
「ど……」
不二はごくり、と息を飲んだ。
「どどど、どうしたの、その格好」
内心の動揺を表すようにどもりながら問い掛ける。
手塚は腕組みをしながら、幾分憮然とした表情で答えた。
「花火を見に行く、と言ったら、母さんが……」
「あら、不二君、いらっしゃい〜」
やや浮かれた様子の手塚彩菜がタイミングを見計らったように顔を出した。手には男物の浴衣用の帯を持っている。
不二はなんとか胸の動悸を抑えると、彩菜に対して頭を下げた。
「お久しぶりです。すいません、手塚帰ってきてすぐなのに、お借りしちゃって……」
「気にしなくていいのよ。花火大会ですものね。国光もせっかくだからお父さんの浴衣でも着てみたら……って」
「……そういうことだ」
すぐに事情は飲み込めた。母親に無理やり着せられたらしい。彩菜のかなり弾んだ声も、一人息子が久々に帰ってきているからだと思えば不思議は無い。着せ替え人形状態にされているその息子が不機嫌そうにしながらも逆らえないもの。
母と子の様子を交互に見比べている不二を見て、彩菜は首をかしげた。
「あら、不二君は浴衣じゃないのね……」
「母も姉もいなかったもので。一人じゃ着付け出来る自信ありませんし……」
着るつもりはあったのだが、着付けが出来ないとなると意味はない。仕方なく普通の格好で来たのだが。
「そう……」
ちょっと残念そうに彩菜は眉を下げたが、すぐにその顔が輝いた。ぱちん、と軽く手を叩くと、玄関まで突進するかのように歩いてきて不二の腕をがっしりと掴んだ。
「そうだわ! ちょっと来て、不二君」
「え、えええ?! 何ですか?」
「浴衣まだ幾つかあるのよ、ちょうど不二君に似合いそうな色のものもあるし」
「へ?」
すっかり着せ替えモードの彩菜に引きずられながら不二は手塚家の敷居を跨いだ。
先ほどまで自分がモルモットと化していた奥の和室に引きずられていく不二を、手塚は玄関から同情混じりに見つめていた。
☆★☆★☆
「すまんな」
「え?」
レギュラー陣との集合場所まで歩きながら、手塚が突然謝ったので不二は首を捻った。
「母さんの娯楽につき合わせて……」
「ああ……これのこと?」
不二はひらりと自分の浴衣の袖を見せた。無地で薄いグレーをした麻の着物地で、涼しげなイメージだ。ちなみに手塚は本藍染めですっきりした模様の紅梅織りだった。
「いいよ、そんなこと。どっちかと言えば嬉しいぐらいだし。浴衣貸して貰っちゃって、こっちが申し訳ないよ。結構高価なものでしょ?」
嬉しいと言う気持ちは紛れもない不二の本心だった。というかまさか浴衣で手塚と並んで歩ける日がこようとは。ビバ浴衣。ビバ花火。ビバ彩菜さん。
「……そうか」
手塚は安心したのか口元を緩めた。
その柔らかな表情に思わず不二は見入った。
「それで、大石達との待ち合わせ場所は……どうしたんだ?」
不二がぼーっと自分の顔を見ているのを不思議に思った手塚が声をかけてきた。
それでようやく不二は正気に戻った。
「あ、ええと……いや。手塚の顔間近で見るの久しぶりだなあ、と思って」
「そうか。そういえばそうだな」
「う、うん……」
その通り。
数ヶ月の遠距離恋愛(不二の一方的な)を経ての再会なのだ。
意識すると止まらなくなる事を不二自身、よくよくわかっていたので努めて冷静に慎重に振舞っていたのだが。
実物を目の前にするとそんな理性もぶっ飛びそうになる。
しかもコスチュームは浴衣。
シチュエーションは花火大会。
万全である。
(……どうしよう)
棚からぼた餅、鴨がネギをしょってやってくる、勿怪の幸い、鰯の頭も信心から、天は自ら助くる者を助く……英語で言えばHeaven
helps those who help themselves.……等、ことわざの類が頭の中をぐるぐると駆け巡っては消えていく。
手塚と浴衣。
浴衣の手塚とデート。
手塚のいなかったここ数ヶ月、禁欲生活を送ってきたご褒美かもしれないと、不二は本気でそう考えた。
(……でも、またすぐに宮崎に戻るんだよね……)
まだ手塚のリハビリが終わったわけではない。
ふと現実を思い出して不二は黙り込んだ。
「……で、待ち合わせだが……」
「ああ、うん、それで?」
「……聞いていなかったなお前」
「……うん。何の話?」
生返事の不二の態度に手塚は呆れたように呟いた。
「だから、大石達との待ち合わせは何処だ?」
「えーっと……」
待ち合わせの事を言われてから、ようやくそのことを思い出した不二だった。先ほどまで、不二の脳内から待ち合わせている大石や菊丸その他レギュラーの面々の姿は既に消えていた。
「……もうちょっと行ったところのローソンだよ。川辺で昼間からタカさんや桃達が場所取りしてくれてるんだよね。で、コンビニでジュースとか買っていこうって。食べ物は夜店でいいだろうし……」
「そうか。確か予定は五時だったな。急ごう」
手塚は歩く速度をやや速めにした。そのせいで不二は少し手塚から離された。
「あ……ちょっと待ってってば」
今まですぐそこにいた浴衣の背中が、今はヤケに遠くに見える。
慌てて不二は手塚の後を追った。
離されないように。
「……手塚っ」
「なんだ……?」
不二はなんとか手塚に追いつくと、浴衣の袖を掴んで引っ張った。
そのまま顔を上げない不二を、手塚は訝しげに見下ろした。
何か言いたそうに不二は何度か口を開いたが、上手く言葉にならなかった。
結局いえたのはこれだけだった。
「……何でもない」
「……? とにかく遅れるな」
「うん……」
☆★☆★☆
結局その後二人はレギュラー陣と合流し、河川敷で場所取りをしている面々の元に向かった。
とはいうものの妙にご機嫌な天才とそのご機嫌な理由が即座に判断できた理性ある人々は、触らぬ神に祟りなしということで決してうかつに不二(と手塚)に近寄らなかった。久しぶりの部長の姿にそれぞれ言いたい事はいろいろとあったのだけど、今邪魔をすれば間違いなく生死に関わると思われた。自分の身ほどかわいいものはない。
「手塚、たこ焼き食べる?」
屋台で買ってきたばかりの出来たてアツアツのたこ焼きである。不二はその一つを楊枝に刺して、手塚のほうに差し出した。
「あ、広島焼きも焼きそばもりんご飴もイカ焼きもから揚げもクレープもベビードーナツも綿飴もあるよ」
「……ちょっと待て、そんなに食えんぞ」
「大丈夫だって」
「む……ではたこ焼きを頂こう」
満面の笑みを浮かべる不二に釈然としないながらも、手塚は手を伸ばしてたこ焼きを取ろうとした。だが、その手をひらりと不二はかわした。そして手塚の口元にたこ焼きを寄せる。
「はい、あーんして」
さすがに成すがままになっていた手塚も怒鳴りつけた。
「そんな食べ方出来るか!!」
「あ、熱いの苦手だもんね。じゃあふーふーして冷ましてあげるね」
「そういう問題じゃなくてだな!?」
「わー手塚ってば照れちゃって〜」
そんな二人の甘いやり取りを、レギュラー陣は遠目に眺めていた。
「ずいぶんご機嫌っスね、不二先輩」
手塚を独占されて(しかし不用意に近づけない)越前が不機嫌そうに隣の河村に話し掛けた。
「……う〜ん、まあ気持ちは解るけど。手塚がいなくてずっと寂しそうだったからね不二」
河村は人の良さそうな笑顔で越前を宥めるようにそう答えた。だがそれで満足する越前ではなかった。
「甘いっすよ。なんか先輩達みんな、不二先輩に甘すぎるっス」
「そ、そーかな」
「そーっス」
困り顔の河村を見かねてか、菊丸が乱入してきた。
「おー、手塚を不二にとられて妬いてるのかにゃおチビ〜?」
「そーゆーのじゃなくて!」
図星の自覚があったからか、思わず声を荒立てた。
「アレ、ほっといていいんですか? 正直うっとおしいんですけど」
「そー思うならおチビが言ってこいよな、『うっとおしい』ってさ」
紙コップを傾けながら菊丸は不二達二人のほうを指差した。
「……それは」
「や、止めといたほうがいいよ越前……」
河村が忠告する。不二の周辺をうかがった越前も、言葉に詰まった。恐ろしいまでの幸せオーラで結界を成している。さすがにあそこに入っていける肝の強さは持ち合わせてはいない。素直に先輩の助言に従う事にした。
「……遠慮しとくっス」
「……それが懸命だと思うよ。ねー烏龍茶どこー!?」
「……一つ言っておくと越前」
突然、乾が烏龍茶片手に割り込んできた。空いている左手で逆光に光る黒ブチ長方形眼鏡を持ち上げる。
「うわ、何すかいきなり」
「あのテンションの高さ……おそらく不二も必死で我慢してるんだ」
「そう……なんすか?」
越前の目には、不二は決して我慢してるようには見えなかった。
「そう」
乾は意味深に肯いた。不二のほうを遠目に伺いながら越前に語りかける。
「今日の開眼率は20%、データからすると、あのハイテンションは無理やり作りあげたものだ。……あの状態でこの場に手塚と一緒に来たこと事態、かなり我慢してる証拠だ。本来なら既に二人してどこかにシケ込んでいてもおかしくないはず」
「………………シケこんで、って」
「そういう訳だから、下手に手を出すと、いつ溜まっていたものが爆発するか解らない」
説得力があるのかないのか良くわからない説明だったが、越前はなるほど、と思った。
つまるところ、三年生があの二人を放置しているのは不二に甘いとかそういう問題ではなくて、三年間の付き合いの中で得た天才の天災を避ける方法なのだ、と。
越前はそう気付いた。
……10000ヒット記念アンケート小説『B夏らしく浴衣で青姦』ですが妙に長くなっちゃったので二分割……
まあ、非エロとエロに分かれたのはエロ苦手な方でも良かったんじゃないのかなー、とも。
とにかくアンケートお答えくださった皆様に感謝を込めて。
急いで書いたのでズタズタですが……これからも楽しんでもらえれば幸いです。
あ、後編はもちろん本番ですよ〜だから裏ですよ……探してください。ではまた後で。
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