関東大会決勝戦を目前に控えた、ある日の放課後。
青春学園の一室には、部長代理である大石と、乾と不二が集まっていた。
立海戦のオーダーを決めるためである。
他の部員はテニスコートで練習中だった。その様子はここの教室からも良く見えた。
「……ダブルスは、もうほぼ決まってるんだ」
大石はノートを開いて二人に見せた。
オーダー表は上半分、ダブルスの部分だけが埋まっている。ダブルス2が桃城と海堂ペア、ダブルス1が大石と菊丸ペアの名前で埋められていた。
「……黄金ペア復活、だね」
不二が軽く大石に微笑みかける。それに応えて照れたように大石も笑いかえす。腕の怪我以来試合から離れていた大石もようやく完全復帰し、今度の立海戦で久々の黄金ペアが見られることになった。
「……相手は『王者』立海だ。大石が間に合ってよかった」
乾も口元を綻ばせた。
「……ダブルスはこれでいいんじゃないか? 桃城と海堂の組み合わせは試合の中で格段に成長する可能性が高い」
「そうだね、これならいけるんじゃないかな」
二人に賛成されて、大石もこくりと頷いた。
「問題は、シングルスなんだけど……それで二人に来てもらったんだ」
大石はもう一枚、ひらりとノートをめくった。
そこには三人の名前が記されていた。
乾と、不二と、……そして越前。
「……タカさんはまだ腕のこともあるから。それに手塚がいない今、うちのシングルスで最強メンバーって言ったらこの三人だと思う」
二人は特に驚いた様子は見せなかった。自分達の名前があることにも、それに並んであの生意気なルーキーの名前があることにも。
確かに『王者』に挑むために、あの潜在能力未知数の一年生の存在は欠かせないだろう。
ここまで決まっていて、大石が何で悩んでいるのかと言えば。
「……オーダー順なんだ」
大石はとんとん、とシャープペンシルの背で机を叩いた。
「……立海のオーダーもだいたい予想は付く。さすがに決勝戦だ、手を抜くようなことはしまい。ダブルスは桑原&丸井、そして柳生&仁王で間違いないだろう」
「そしてシングルスが、切原と柳……そして真田」
二人とも事前の研究は怠っていない。それでなくても相手は二年連続全国制覇を成し遂げた学校だ。知らないほうがおかしい。
「ああ。万全の体勢で来ると思う……それでシングルスのオーダーが問題なんだ」
険しい表情で大石はノートを睨み付けた。
「少しでも勝てる可能性を上げておきたい……」
「……シングルス3、行かせてもらっていいか?」
一番に声を上げたのは乾だった。かなり厳しい声をしていた。
残りの二人は目を丸くして声の主を見た。
「……何か理由でもあるのか?」
乾はくいと眼鏡を持ち上げた。
「俺の予測が正確なら、シングルス3には80%以上の確率であいつが……柳がくるはずだ。いや、向こうもそう踏んでるはずだから、その確率は100%にますます近い」
「ああ……」
不二は納得したように首を縦に振った。大石も何か思い出したかのように口を開いた。
「そうか、乾は彼とダブルスを組んでいたんだっけな……」
「あいつのことならこの四年間、ずっと調べてきた。好みもくせも、すべて熟知している……」
「……因縁の対決だしね」
二年前、ダブルス要員としての成長を希望されていた乾がシングルスを選んだのも、この理由だった。その過程と結末を知っている不二は少しからかうような口調でそう言った。
それで乾は自分の希望のために一人で先走っている自分に気がついたのか、わずかにうろたえた様子を見せた。
大石はそんな乾を見上げて爽やかに微笑んだ。
「……そこまで言うなら、柳の相手は任せるよ、乾」
「……ああ」
「ダブルスの結果がどうなるにしろ、シングルス3が大事な試合になることは確かだ。頼む」
「もちろんだ」
それじゃあ、と、大石は今度は不二の方に向き直った。
「……越前がシングルス2で、不二がシングルス1。これでどうだ?」
椅子に座ったままの大石は真剣な様子で不二を見つめていた。不二はそんな大石と一度視線をあわせると、不意に瞳を閉じた。
「シングルス1に、僕が?」
「俺もそれが妥当じゃないかと思う……手塚のいない今、うちのNO.1はお前だよ、不二」
大石の意見に乾も賛成した。
だが不二は首を横に振った。
「……越前と僕の試合の結果は出てないからね。現に越前は凄い勢いで伸びてるから……どうだかわからないよ」
「……それを差し引いても、おそらくお前の方が上だと思うが。俺は」
「……俺もだ。それに越前じゃまだ真田の相手は荷が重すぎるんじゃないかと……」
乾に続いてそう言った大石に、不二は軽く溜息を漏らした。
「荷が重いって言うならそれは僕も同じだよ。……真田相手に僕ごときじゃ勝てない」
手塚がリハビリ中で、幸村が入院中の今、中学テニス界で間違いなく最強の男が立海大付属中副部長・真田弦一郎だった。
「だが……」
「自分でも悪いくせだと思うんだけどね。……一度でも『勝てない』と思っちゃった相手には勝てないんだ、僕は」
自嘲気味にそういう不二に、二人は黙り込んだ。
不二が『勝てない』と思っている相手は……決して勝とうとしない相手は、青学に一人いる。
だから、と不二は続けた。
「僕はシングルス2で行かせてもらうよ」
「……不二」
「シングルス1は越前に任せる」
いつもの通りの穏やかな笑みを浮かべながら、不二は強い口調で言い切った。
そして窓の外の練習風景に目をやった。
視線の先には小柄な一年生がいる。
大石はわずかに肩を落とすと、厳しい声を出した。
「……自分じゃ真田に勝てない、と言うだけじゃシングルス1を降りる理由としては認められない。俺たちは皆、勝つつもりで立海と戦うつもりなんだ。そんな弱気じゃ……」
不二は窓の外から目を離さずに答えた。
「……僕は越前の可能性に賭けてみたい。彼なら真田相手でも何かとんでもない逆転をしてくれそうな、そんな気がしない?」
「…………」
「それに個人的に、例の二年生……切原が気になっているんだ……不動峰の橘を下した相手だ。油断は禁物だろう。柳がシングルス3なら、彼がシングルス2に来るだろうし……」
不二は室内に視線を戻し、ふと険しい表情になった。
「それに……越前と切原はどうも試合したみたいだしね。手の内が解っている相手よりは僕の方が向こうもやりにくいだろう……それに彼のプレイスタイルの問題もある」
「……越前の怪我のことか」
そう問う乾に、不二は首を縦に振った。それを聞いて大石が少し顔をしかめた。
「……越前の代わりに、犠牲になるつもりだとでも……言うのか?」
大石がますます眉間の皺を深めたが、不二は逆にもとの笑みに戻った。
「あいにくそんな殊勝な心構えは持ってないよ。ただね、切原ともう戦ったんなら、越前には真田と当たってみて欲しいと思う」
「…………」
大石は少しまだ納得の行かない表情だったが、やがて大きく息を吐き出した。
「……解ったよ。ただし決めるのは、一応竜崎先生と越前と……それと手塚に確認してからだ」
「それでいいよ」
「まったく……手塚が聞いたら、なんて言うだろうな……」
愚痴のようにそういう大石に、不二は柔らかく言った。
「……手塚は、認めると思うよ」
「…………?」
「手塚が『青学の柱』に選んだのは、越前だから」
その声には、どこか寂しげな響きがあった。
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『……そうか』
電話越しの声は、相変わらず深く落ち着いていた。
大石は溜息混じりに今日暫定したオーダー表を手塚に伝えていた。
「不二はシングルス2を希望してる。……越前に、シングルス1は譲るだと。これで行こうという結論になったけど……手塚はどう思う?」
『あいつらが納得しているなら、問題ないだろう。俺も特に異存はない』
「……だが……越前にシングルス1は、まだ荷が重いんじゃないかと思う。あいつは……どんなに強くても、まだ一年生なんだ」
シングルス1にはただの選手としてではなく、チーム全体を支える精神的な支柱としての役割もある。
『……越前は、大丈夫だ。あいつには大舞台での経験を積んでもらいたい』
手塚がそう断定したので、大石はふと目を見開いた。
思い出したことがあった。
「やっぱり……不二は、お前のこと、よく解ってるな」
『……? 何の話だ』
「不二は手塚がこのオーダーを認めるって言ったよ。お前が『柱』に選んだのは越前だから、って……」
『…………』
それを聞いて手塚は少し沈黙した。
電話の向こうで相手が黙り込んだので、大石はしばらく様子を見てから、別の話題を切り出した。
個人的にも気になっていたことである。
「……なあ、もし、お前が今のオーダー、決めるとしたら」
『…………』
「どっちをシングルス1にしていた?」
電話越しに再び沈黙が流れる。
やがて手塚が唐突に口を開いた。
『……越前、だな』
「……そうか」
予想の付いた答えでは合ったが、大石は少し落胆した気分になった。
不二が手塚のことを好いているのは、3年生の中では黙認状態というか、暗黙の了解になっている。
それは他人が口を出せない、本人たちの問題なのだろうけれども。
先ほどの不二の寂しげな声が大石の頭の中には残っていた。
手塚はさらに話を続けた。
『……本音を言えば、今の青学でNO.1として不二にもシングルス1の経験は積んで欲しい。真田と当たるのもあいつには良い経験になるだろう。……あいつは、なかなか本気を出さないから』
「それでも、越前なのか?」
『……不二自身が、シングルス2を望むのならな』
「…………そうか」
手塚の声は、やっぱり落ち着いていた。
だが、どこか照れがあるように聞こえたのは、自分の希望的観測だけではないと感じた大石だった。
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その日の部活終了後。
不二は校門付近で、後ろから声をかけられて歩を止めた。
「……不二先輩」
多少緊張したような声はわずかに弾んできた。駆けてきたせいらしい。そういえば、彼は練習終了後大石に呼び出されていて、部室に戻ってくるのはだいぶ遅かったはずだ。
自分に追いつくために、わざわざ駆けて来たらしい。
「……何? 越前」
振り向くと、小柄な一年生は膝に手を当てて前かがみになっていた。
荒い息でをついているところを見ると、全力疾走だったらしい。
「オーダーのこと……副部長から……」
切れ切れにそう話す。不二もだいたいその話題だと予想は付いていた。
「ああ、よろしくね、シングルス1」
不二が笑顔を向けると、越前は不思議そうな顔で自分を見上げていた。
「……いいんですか……俺で」
息を整えなおして、越前は訝しげな声でそう尋ねた。
不二としては、自分がシングルス1に納まるのは不本意なのではないのかと。
越前はそう考えていた。
だが不二は微笑んだままだった。
「うん、むしろ、君の方が似合うでしょう」
「……俺、不二先輩とまだ決着つけてないのに、これじゃなんとなく塩を送られたってゆーか……」
「帰国子女なのになかなか故事成語に詳しいねえ越前」
はぐらかすような口調の不二に、越前は声を荒げた。
「……とにかく、俺でいいんですか!? だって先輩、部長のこと……」
青学のシングルス1、といえばそれは手塚の場所でもあった。
その場所に不二ではなく、自分が納まるということが、不二にとってどういう意味になるのか。
何故、不二が自分をシングルス1にするように大石に希望したのか。
越前としては不思議だった。
だから聞かずには入られなかった。
「いろいろ理由はあるけど……正直に言うと、僕はね、シングルス1には興味ないんだ」
「……?」
「そこは手塚の場所だから」
「でも」
「……そこに誰が入っても、僕にとって別に問題はないんだ。だけど僕がそこに入ったら意味はない」
不二は少し目を細めた。
「僕の場所は、隣のシングルス2だから」
だから。
「……シングルス2だけは譲らないから」
……彼の、隣だけは。
「…………」
越前は何も言わずに帽子で顔を隠した。
ただ小さく、チェッと言う舌打ちをした。
心配した自分がちょっと恥ずかしくなった。
「…………んなこといったって、先輩ダブルスとかだってやってるじゃないすか……」
「あはは、まあそういうのは置いといて。なんていうかほら、概念的にね」
「言い訳っすよそれ……」
「厳しいな越前は」
憮然とした様子の越前の頭を、不二はいきなり撫でた。
「……ちょっと、止めてください……」
「……真田は強いよ。でもきっと君なら楽しめると思う。僕も本気で行きたいと思う……」
「だから……なんなんですか……?」
「勝とうね、立海戦」
不二は越前に視線を合わせてそう言った。
それを聞いて、越前は少しぽかんとした様子だった。
だが、すぐにその意を飲み込むと、にやりと生意気な笑みを浮かべた。
「……当然っすよ」
今更なネタ&ありがちなネタですみません。
更新停滞中につき何か書きかけの話ないかーと思ってたらこんなん出てきました。
ちょっと自分の精神的な整理のために……
……手塚がいなくなって不二がシングルス1で頑張る、のかと思いきや(そんな同人誌読んで……塚不二ですが……)
立海戦で不二がシングルス2だったりしたわけで。
これに違和感覚えたか、というと、自分の中ではそうでもなかったのでちょっと……ネタにしてみた……。
ありがちな話ですよね……しかも生ぬるい話ですみません……。
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