以前に好きだった相手から、半年ぶりに連絡があった。
「相談があるんですけど」と。
その言葉には、何か今後の新しい展開を予感させる甘い香りも、もう既に自分は相談相手にしかなり得ないのかという哀愁も、どちらも感じさせる何かが合った。だが前向きでも後ろ向きでも、とにかく久しぶりに会えるということ自体に嬉しさを感じた。思わず部活を早く切り上げて帰らせてもらって準備をしてしまうほどに。
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そんな期待と失望を胸に抱えていた大和の自宅にやってきたのは、私服姿の不二周助だった。
以前に会ったのは自分の卒業式の日だった。
あれから約半年、視線の位置がかなり近くなっている。身長は伸びたらしい。成長期だから当たり前といえば当たり前の話だ。だが全体的に、線が細くて色素の薄い、いかにも美少年といった印象は変わっていない。
……ついでに、自分に対する敵意も。
自分の方を見ている視線には、あからさまに不本意そうな意思が見て取れた。
「……家に帰ってきたんですか?」
今日は平日の午後四時である。大和自身、まだ高校の制服から着替えていない。なので不二の私服姿にそう疑問を抱いた。 だが、それにしては、時間が早すぎはしないだろうか。ましてや、テニス部の放課後練習はまだ終わっていないはずだ。三年間自分自身も経験していた日課だから良く知っている。
首を傾げる大和に、不二は冷たく答えた。
「今日学校行ってませんから」
「……ズル休みですか」
「登校拒否です」
そうはっきり言い切られると、何と答えるべきか解らなかった。
「……まあ、その辺のことが相談なんでしょうけど。とりあえず、中にどうぞ」
「……お邪魔します」
「あ、靴は靴箱の中に入れてくださいね。お茶準備しますから、先に上がっててください」
大和に言われたとおりに不二は脱いだ靴を靴箱の中に入れ、そのまま何も言わず二階に上がっていった。半年前まではちょくちょく来ていたんだから、間取りぐらい完璧に覚えているだろう。大和の自室の位置も。
階段を登る不二の後姿を肩越しに見ながら、大和は周りに聞こえないように、小さく溜息をついた。
陶器の湯飲みに緑茶を入れて自室に戻った。お茶菓子はお手製のきんつばだ。
「昨日作ってみたんですよ。自信作です」
「……相変わらずですね」
不二は出された湯飲みを両手に取り、熱さに慣れるように同じ体勢でじっとしていると、その後ゆっくりと口に近づけた。
その様子を、大和は机を挟んで不二の正面に腰をおろしながらずっと見ていた。
縁を唇にあてたところで、不二はふと思い出したように問い掛けてきた。
「部長……もとい、先輩の方は部活いいんですか」
「ちゃんと用事があるって説明してきましたから。心配しないでください。……それにもう一件、この後用事があるんです」
そう答えると、不二は納得したのかお茶を一口飲んだ。
「……そういうわけなので、残念ですが今日はゆっくりお相手出来ません。出来れば早めに相談して欲しいんですけど」
不二の手が逡巡するようにぴたりと止まった。
飲む前よりも、ことさらゆっくり湯飲みを下げて机の上に置き、そのまま下を向いた。
プライドの高い(しかも自分を嫌っている)彼がわざわざ相談に来たのだ。言い難い事だろうという予測はついていた。だから最初からそう切り出してみたのだが、よほど言い出しにくいことらしい。
「……えっと、弟さん……裕太君でしたっけ。その事情なら聞いてます。転校したんですってね」
とりあえずその話題から振ってみると、不二は驚いたように顔を上げた。何故知っているのかという疑問が顔中からありありと透けて見えた。その表情を見て、大和は微笑んだ。
「実を言うと隠岐君の妹さんが今青学の中一で。テニス部員じゃないんですけど、君の弟の事や……あと生徒会選挙のことは聞いてるんですよ。手塚君が生徒会長なんですってねえ。ちゃんと両立……ま、彼なら大丈夫だと思いますけど……」
隠岐は大和が部長だった時代の副部長だ。今も青春学園高等部に在籍している。大和との腐れ縁も変わらない。
ネタ元を話すと、不二は再び下を向いた。だが、その行動だけで、自分の考えが大きく間違っていない事はわかった。
「……その辺の事情ですか?」
質問というより確認のつもりだったが、不二は答えなかった。
しばらく沈黙が流れる。次はどう切り出そうか大和が悩んでいるうちに、不二は俯いたままぽつぽつと話しだした。
大和は湯飲みにやった手を止めて、その言葉を聞いた。
「……手塚に」
意を決したのか、不二は顔を上げた。大和と視線が合うのも躊躇わずに告げた。
「告白したんです」
大和は少し息を呑んだ。
「……はあ」
としか、答えることは出来なかった。
不二が入学時から手塚のことを想っているのを大和は知っている。その感情が複雑なものであることも。
そして、恋愛感情にとことん疎い手塚が、不二の想いを全く理解していないことも。
不二は大和から視線をずらして、更にこう続けた。
「ついでに襲いました」
「…………はあ」
やっぱりそうとしか答えられなかった。
一言言ってしまうと後は躊躇いがなくなったのか、不二は弾丸のように話し始めた。
「だって手塚がいけないんですよ!? 最近全然まともに会えなくて、会ったら会ったで僕の気持ち全然理解してないくせに解ってるような顔するし、『悩みがあるなら相談にのってやる』……って、何様のつもりなんだと思いません!?」
「えーと……」
「……僕があの時悩んでいた、ってのは認めますよ。裕太の事もあったし何より手塚が生徒会に行っちゃってて全然何やってるのか解らなかったし。挙句の果てには書記の子と付き合い始めただのなんて噂も流れるし……」
不二の話は断片的かつ時間軸がずれていたので、全体像を理解するには少し時間がかかった。
だがつまり、こう言うことらしい。
「つまり……不二君が弟君のことで落ち込んでたり手塚君の女性疑惑だったりで情緒不安定だったところに、最近全く顔を合わさなかった手塚君がいきなり悩み相談とか偉そうなこと言ってくるから、イライラしちゃって告白した挙句襲っちゃったってことですか?」
不二は少し、黙りこんで考えた。
「……表面的な現象だけ言うと、そうなります」
しばらく間を置いてから、口を開いた。
「……多分、もう手塚のこととかいろいろ、考えたくなかったんだと思う。手塚、僕のことなんか解ってない、と思ってたのに……なんか、肝心なとこだけカンがいいし。理解して欲しいのかして欲しくないのか、もう何も解らなくなってた」
手塚のことが本当に好きなのかどうなのか解らない、と不二は言った。
大和はしばらく、何も言わずに黙って聞いていた。
「……貴方が言ったように、僕は本当は手塚のことが嫌いなのかもしれないし。嫌いだから抱いて無茶苦茶にしてやりたいとか思ってるのかもしれないし。でも嫌いな同性に性欲なんか抱けないだろうし」
「………………」
「もうそれ以上、頭で考えるのが辛かったから、はっきり言葉にして行動で表して答えを出せば楽になれると思った」
大和は湯飲みを手にとると、一口お茶を飲んだ。
「……それに」
言い出し難いのか、再び不二は下を向いた。
「言葉と行動で表してやったら、どんなに鈍感な手塚でもさすがに解ってくれるかな……って」
小さい声でそう言った不二に、大和は湯飲みを持ったまま首を捻った。
それは確かに非常に解りやすいと思うが。
「うーん……だからと言って本当に行動にしちゃうのはどうなんでしょう……強姦は犯罪ですが……あ、男性同士だと強制わいせつ罪とか傷害罪でしたっけ」
とにかくどんなに取り繕ったって相手の同意がない限りそれは犯罪だ。解ってくれないからと言って身体で解らせようとする辺り、独り善がりで許される理屈じゃない。
「……解ってます」
不二は身を固くした。自分のやったことの問題性は理解しているらしい。
「……だから、手塚とは二度と会わないって言ったんですけど。携帯の番号も変えてきましたし」
その答えに大和は飲んでいたお茶を吹きかけた。
「ま、また……それも極端すぎませんか?」
「だってどんな顔して会えばいいんですか。加害者が被害者に対して」
「えーと、でも……」
不二の思考回路に奇妙な極端さがあることはよくよく知っている大和だった。告白するだけでいいのに一気に最後までヤッてしまうあたりも極端といえば極端だ。天才ゆえのものかもしれない。
それに、と不二は不意に遠くを見ながら話し始めた。
「……手塚に告白したら、その時が全ての終わりみたいに思ってたから」
「?」
不可解な言葉に、大和は少し目を細めた。
「だって、男同士でこんな好きだ嫌いだなんて、ましてやセックスしたいなんて、手塚が理解するなんて思えない。絶対嫌われると思ってた。嫌われなくても二度と前みたいな関係に戻れないし」
「…………」
「じゃ、万が一、受け入れられて恋人同士になる……なんて、そんなもの、考えるだけでおぞましいし。僕のことが好きな手塚なんてそんなの、手塚じゃないし」
独白のような言葉を聞きながら、大和は細めた目をゆっくりと閉じた。
心の中だけで呟く。
やっぱり、君は、僕と似てるんです。
だから。
「……だから」
自分の脳内と同じことを不二が言ったので、大和は一瞬慌てた。だが、顔には出さなかった。
不二はそんなこっちの事情など構わない様子で、言葉を続けていた。
「……手塚に告白したら、どっちにしろ、終わるんだと思ってた……」
そこで不二は首を横に振った。
「違う……終わりにしたかったから告白したんだ。終われば、楽になれると思った」
「…………そうですか」
大和は肩を落として、大きく息を吐いた。ゆっくりと目を開くが、サングラス越しなので不二には見えていないはずだ。
「……でも、現実はそう簡単には終わりませんよ」
どちらかと言えば、自分に言い聞かせるための言葉だという自覚はあった。
「皆終わらない日常でひたすら生きてるんです。それだけです。勝手に終わらさないで下さい」
大和の言葉に、不二は憮然としていた。
頬杖を付いて視線を反らす。
何かを誤魔化すためにか、茶菓子を一つ、楊枝で思いっきり突き刺したりしている。
「……思い知りました」
目を反らしたまま、不二は大和自信作のきんつばを口にほおり込んだ。
とにかく、と大和は湯飲みを音をたてて机の上に戻した。
「とりあえず一度、話し合ってみましょう。直接会うのが嫌ならお互いに代理人でもたてた方が良いと思いますけど。訴訟に持ち込まれたら負けるの目に見えてますから」
「……こんなプライバシーな問題、誰に話せるんですか」
「……ご尤もです。だったら直接会って……」
「でも、今、どんな顔して手塚に合えばいいのか解らない」
不二のズル休みの理由がこれだった。
「手塚、きっと僕の顔なんか見たくないだろうし」
「……それじゃ、これからどうするんですか?」
「……それがわからないからわざわざ貴方のところなんかに相談に来たんです!」
不二が机を叩いたので、大和はわざとらしく眉を竦めた。
「……あの、逆ギレしないでくださいね?」
「してません!」
再び机を叩く。
だが、そう言われて納得するところもあったのか、不二はそのあと少し沈黙した。
「……転校とか海外留学の計画もあるけど……それじゃ無責任過ぎるって言うかただの高飛びだし」
「んー……」
大和はしばし黙り込んだ。
二人の間に沈黙の時間が流れる。
「……とにかく、手塚君に責任は取りたいんですよね」
ゆっくりと不二は首を縦に振った。
「なら……僕に言えるのは、やっぱりお互いに話し合ってみましょうってことぐらいです」
「……だから、手塚に合わせる顔がないんですけど」
「じゃあ、会わずに、手塚君が昨日のことをどう思ってるか聞ければいいんですね」
「そう出来れば一番いいんですけど。でも、そんなの」
「解りました」
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突然、玄関のチャイムの電子音が鳴り響いた。静かな空間にいきなりの音だったので、不二は少し身を強張らせた。
大和は慌てて壁時計を見た。もう五時半前になっている。なんだかんだ言いつつ、かなり話し込んでしまった。
「あ、まずい……次のお客さんです。すみません……えと、とりあえず、隣の部屋で待っていてください」
「……じゃあ、もう帰りますけど」
「まだ話は終わってませんから。隣の部屋にいてくださいね」
「でも……」
帰ろうとする不二を、大和は隣の部屋に引きずっていった。
「ここでゆっくり考えててください。お茶とお菓子持ってきますから」
「……?」
「じゃ、一時間ほど、待ってて下さいね」
不二の反論を許さず、大和はさっさと部屋から出ていった。
慌てて追おうとドアノブを捻ったが、外から鍵がかけられていて開かなかった。
「………………」
……中から鍵がかけられるなら解るが、どうして普通の民家で外から鍵のかけられる部屋があるのだ。それはかなり問題じゃないのだろうか。
思えば、手塚以上に、この奇人変人吃驚ショーみたいな元部長の方がよっぽど不可解なのだ。
不二はそのことを今更ながらようやく思い出した。
不二塚初めて物語番外編大和バージョン。……時間軸的には5の途中に当たります。
一つにまとめるつもりだったんですが、だらだらと重かったので二分割……言い訳は後編でします。では後ほど。
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