Monochrome

 「時々、世界がモノクロに見える」

 うつ伏して、枕を抱きかかえるようにしながら、不二はそうつぶやいた。
 ごく小さい声だったが、邪魔する雑音はない。相手にも十分伝わっているだろう。
 情事のあと特有の甘く重い空気は未だ体に纏わりついている。身体に溜まった熱を吐き出すように大きく息をついてから、隣で寝ている手塚の方を向いた。
 彼はセックスのあと、必ずこうして不二に背を向けて眠る。意識を失った場合は別だが。どうも顔を合わせるのが恥ずかしいらしい。こうして身体の関係を持つようになってから、もう数ヶ月がたつというのに、未だに慣れないようだ。

 部屋の光源はベッドサイドのスタンドだけだ。
 薄明かりの元に浮かび上がる手塚の白い背中はぼんやりとしていて。
 どこか不安になる。

「そんなことって、ない?」

 囁く様な声で問いかける。
 すぐに返事はない。だが、肩が少し動いたところを見ると、聞こえていないことはないのだろう。
 時計の針の音だけが耳に響く。
 しばらくしてから、手塚はややかすれた声で答えた。

「……それは、目の病気じゃないのか」
「……君に情緒ってものを期待した僕が馬鹿だったよ」

 いかにも手塚らしい答えに、苦笑するしかなかった。こういう類の鈍感さは彼の欠点ではあるが。
 同時に、愛しく思う部分でもある。

「どういう意味だ」

 機嫌の悪そうな声が返ってきた。怒らせたらしい。

「多分ね、病気なのは目じゃないんだよ」

 枕に顔を押し付けるようにして、瞳を閉じる。
 視界には何も見えない。
 何もない。

「どっちかというと、アタマの方だと思う」

 瞳を開く。
 視線の先には、手塚がいる。

 その肩にそっと指を伸ばした。

 指が触れた指先から、体温が伝わってくる。その心地よい熱を共有したくて、身体をさらに寄せた。
 手塚の肩にこつんと額をあてる。
 湿った肌同士をぴったりと合わせる。
 一部の隙間もないように。

「……っ。離れろ……」

 非難の声は無視して、不二は話を切り出した。

「そもそも『色』っていうのは感覚の産物だから」
「……何の話だ?」

 手塚はわずかに戸惑ったようだった。突然の話題のせいか、それとも肌と肌を密着させているからか、理由はわからないが。だがその動揺ぶりは肌を通して伝わってくる。

「見る、って行為は、目の前の物体そのものを見ているわけじゃないだろ?」

 物体が反射した光が目に入って、網膜に像を結び、それが電気信号になって脳まで届く。
 そこで初めて『物が見えた』という認識が生まれる。
 ものを見ているのは目であっても、それを認識しているのは脳だ。

「例えばりんごが赤く見えるのも、りんごが実際『赤い』という訳じゃない。僕たちがそう認識しているだけだ」

 認識は、脳内の産物に過ぎない。
 本当に現実に存在している訳ではない。

「実際さ、動物と人間じゃ視界の色彩がまったく違うらしいしね……。それに同じ人間でも、言語が違うと同じ色でも違う言い方になるでしょ」

 だから。

「――本当は、世界に『色』なんて存在しない」

 もしかしたら。
 世界すら、存在していなかもしれない。

 饒舌に語る不二に対し、手塚はしばらく黙っていた。
 依然、不二に背中を向けたまま。

「……確かに、そう、言えるかもしれないが」

 納得したようなしてないような声。理屈は理解できても、すぐに受け入れられる話ではなかったようだ。

「だが、大多数の人間が同じように認識しているのだから、色の存在は真実になるのではないか?」
「……現実じゃないかもしれないけどね」

 手塚は再び黙り込んだ。考え込んでいる様子だった。
 ピロートークにこの話題を続けても、艶がない。そう思った不二は話題を切り替えた。

「深く考えなくていいよ、議論したいわけじゃないんだ。つまんない話しちゃったね、ごめん」
「む……」
「……僕の目にはそう見えるってだけだから」
「……それで、大丈夫なのか?」
「ま、……たまにだからね」

 モノクロームの、世界。

 色も温度も、そこには存在しない。

「だけどね」

 手塚の身体から少しだけ頭を離す。
 今まで額を押し付けていた白い肩に今度は口を近づけて。
 歯を立てた。

「っつ……!」

 突然の痛みに驚いて、手塚は飛び起きた。

「いきなり何をするんだ、お前は!」
「……痛かった?」
「当たり前だ!」

 上半身を半分起こし拳を握り締めて怒っている手塚の顔を、不二は横になったまま見上げた。

 手塚の胸元には、自分が付けた赤い痕が疎らに散らばっている。
 彼の白皙の肌を汚している血の色の傷跡を見ると、ひどく満足した気分になる。

 大丈夫。

 ちゃんと、見えている。

「何がおかしい?」

 まだ怒気を帯びている手塚の声で、不二は我に返った。

「ごめんね」
「……笑って言われても説得力無いぞ」
「怒らないでよ、そんなに」

 宥めるように手塚の手をとって、自分のもとに引き寄せた。

「……君だけは大丈夫なんだよね」
「……?」

 いまだ解ってなさそうな手塚を両腕で抱きしめて。
 耳元に口をつけて囁く。

「手塚だけはちゃんと綺麗に見えてるんだよ、いつも」

「……っ……」

 不二が何を言いたいのか、手塚はようやく理解したらしい。頬がわずかに朱に染まる。

「……お前な……」
「本当のことだけど?」
「………………」

 俯いて手塚は黙り込んだ。照れているのか不二の腕から逃れようと身体を捩るが、簡単に逃す不二ではなかった。背骨に沿って撫で上げると、腕の中の体が強張るのが解った。
 耳朶に歯を立てながら問いかける。

「……ね、もう一回……していい?」
「……あのな……」 
「明日休みだし、いいでしょ?」
「…………」

 未だ下を向いたままの手塚に口付けて、無理やり答えを引き出した。

 この白黒の世界で
 君だけが綺麗。

   END


ps
くう……(赤面)……バカップルじゃん……やーい、バカップル〜(冷やかし)
何か言い訳しようと思ったけど見苦しいのでノーコメント(逃)。
色や眼の話については一応調べたけど……所詮文系なんで(苦)
ぶっちゃけ信じちゃいけません。いろいろ省略してるし……。
間違ってたらこっそり教えてやってくださいすみません(死)

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