風邪の功名

 額にひんやりした感触を感じて、不二は目を覚ました。
 自分が寝かされているのが保健室のベッドだと気付くのに、少し時間がかかった。ぼんやりした目をこすると、視界の端に黒い学ランが見える。
(……手塚……?)
「不二、だいじょーぶ?」
 声をかけてきた相手の顔を横目で確認すると、不二はあからさまに残念そうな顔をして目をそらした。そのままごろりと身体を横にして逆を向く。
「……なんだ、エージか」
「なんだってなんだよ! 人が心配してついてやってたってのに!!」
 英二は声を荒げたが、ここが保健室だと言う事を思い出したのか、すぐに静かになった。気まずそうに声を抑えながら話す。
「……もー、何事かと思ったよ、体育の最中いきなりブッ倒れるから。保健室のセンセはただの風邪だって言ってたけど」
「………………」
「熱38度あるってさ。……だいたい〜、風邪なら風邪だって、熱あるならあるって、そーゆー顔しとけよな〜。いつもと全く同じだから倒れるまで全然解んなかったもん」
「………………」
「今週末は練習試合なんだから、ゆっくり休んでちゃんと治しとけよ。あ、でも無茶はダメだからな!」
「………………」
「……ねー不二、聞ーてる?」
 その問いに返事はない。だが寝ているという訳でもない。聞いていることは聞いているんだな、と英二は判断した。
「ね、あと5分で5時間目だけど、どーする? 帰る? それともまだ寝てる?」
 それまで無反応だった不二の肩が、不意に揺れた。
「…………手塚」
「へ?」
 不二はいつもの笑顔を英二に向けた。その顔から出される言葉は、お願いというよりむしろ脅迫に近い。
「手塚呼んできて。今すぐ。ボクここで寝てるから」
「ちょ、ちょっと待って! 無理! だって後5分で授業が……」
「大丈夫だよ、この風邪、手塚からうつされたものだから。そう言って」
「……」
 英二はなんとも言えないような複雑な表情をした。
「……一応、声だけはかけとく」
「うん、それでいい。ありがと」
「あ、そこの薬、起きたら飲んどけって。じゃ、俺行くから。また休み時間に来るし」
 そう言うと、英二は立ちあがってベッドの仕切りとなっているカーテンから出ていった。手にお弁当箱を持っていたところを見ると、昼休み中ここにいたらしい。ホントに心配してくれていたようだ。とするとさっきの扱いはちょっとひどかったかもしれない、と不二は素直に反省した。
 言われた通りに手に白い錠剤をとり、水で流し込む。喉が乾いていたので、そのまま一気にコップの水を飲みほした。
 なんとなく、朝起きた時から身体がだるいとは思っていた。妙に息が熱いとも。だが、まさか急に倒れるほどひどい事になっているとは考えなかった。
 ……これじゃ、手塚のこと、鈍感だって笑えないな。
 額に手をあてながら、クスリと笑う。市販の解熱シートの冷たさが、熱を帯びた指先に気持ちよかった。
 いくら原因が手塚にあるとはいえ、授業をサボってまであのクソ真面目な彼がやってくるとは、さすがの不二も考えていない。ただ、ちょっと思っただけだ。自分が倒れたと聞いて手塚が駆け付けてくれたりしたらステキだな、と。そして心配そうに「大丈夫か?」とか聞いてくれたりするのだ。まるで恋人同士みたいに。……どうせ無理な話だろうけど。近年稀に見るカタブツにそんな関係を期待する方が間違っている。
 何か用事があるとかで、養護教諭は保健室から出ていった。今保健室にいるのは不二一人だ。一度自分が病気だと意識すると、いっそう身体が重く思えてきた。頭もなんだか痛くなってきた気もする。もう一眠りするか、とシーツをかぶると、自然と眠気に誘われ、不二はそのまま眠りについた。

     ●

 3年の教室に向かって廊下を走りながら、英二は考えていた。……あれでも不二は結構弱っているのだ。ブッ倒れるまで具合が悪いのを顔に出さなかったのは他人に弱ってる姿を見せたくなかったからだし、保健室で妙に静かだったのも倒れたところを見られて気まずかったからだろう。本人に自覚は無いのかもしれないが。……だいたい、自分にそんな風に思われている時点で、不二はかなり弱気になっていると見て間違い無い。
 不二のそんな珍しい姿を見せてもらったからには、ちょっとぐらい我がままを聞いてやろうという気になった英二だった。いつもこうやってパシリにされているような気もするが、それは考えないことにする。
 もっとも、この我がままを実現するのは、かなり困難そうだが。
 1組の教室で、手塚は既に5時間目の準備をして席についていた。社会の教科書とノートが机の上にきっちりと並べられている。
 ずかずかと1組の教室に入ってくる英二に気付いたのか、手塚はちょっと目を細めて英二の方を見た。
「……どうしたんだ」
 なんとなく不機嫌そうである。昼休み終了直前に突然教室に飛びこんで来たのだ。よいニュースとは考えにくいだろう。
 息を切らしながら英二は言う。
「あのな……不二が、授業中倒れて、風邪で、熱39度もあって、保健室で寝てて……」
 不二の名前を出したとたん、手塚の顔が曇った。ように英二には見えた。だがここでひるむ訳にはいかない。
「……で、手塚に今すぐ来て欲しい……って」
 手塚は額に手を当てて、溜息とともに言う。
「無理を言うな……もう授業がはじまるだろう。だいたいなぜ俺が」
「でも……手塚の風邪がうつったって言ってたけど不二」
 手塚はがくっと机に倒れこんだ。英二から目を反らして小さな声で呟く。
「……それは、そーなんだが……だが……」
「??」
 ……英二にはこの辺りの事情は解らない。ただ、数日前、風邪で手塚が寝込んだことがあって、そして不二が御見舞いにいった……という事しか知らない。おおかた、その時に風邪をうつされたのだと思ったのだが。
 だがそれだと、手塚の顔がわずかに赤くなっていることの説明がつかない。
「――とにかく、今は……」
 その時、5時間目の始まりのチャイムが響いた。
「やべっ次数学……」
 顔を青くした英二は慌てて駆けだそうとした。途中で一度振り向くと、手塚に念を押すように言った。
「な、部活の前でもいーから行ってやって。……不二、なんか弱ってるみたいだし」
「……考えておく」 
「じゃっ」

     ●

 1組の生徒をかき分けてどたどたと走りだす菊丸を見ながら、手塚は肩を落とした。
 菊丸はあれなりに友人を心配してやっているのだ。……それは良い事だと思う。
 だが、どこか釈然としない思いもある。
 少なくとも今すぐ行くなんて無理だ。いくらなんでもそれしきの理由で授業をサボるなんて出来るはずがない。向こうも解っていてそう無理な事を言っているのだろうが。
 そもそも自分も含めて、テニス部の面々は不二に甘い。甘すぎるのだ。……というよりもむしろ、不二に逆らえないといった方が正しいのかもしれないが。とにかく、どっちにしろ、あんまり不二のしたい放題にさせるのは良くない。ちょっとした我がままに付きあっていては身がもたない。手塚はそう考えた。……風邪がうつったのだって自分のせいだけではないのだ。
 だが、菊丸の言い方を聞くと、どうにも普段のわがままとは少し違うようだ。
 なんだかんだ言っても、今の不二は病人なのだ。
 教室のドアが開く音が聞こえて、手塚は不意に我に帰った。筆箱を手に取りシャープペンシルを取りだす。教壇の方を見ると、女子の学級委員がプリントの束を抱えていた。
 学級委員は教壇の上にプリントをどさりと置くと、黒板に大きく「山田先生急病のため自習」と書いた。そして課題プリントを配りだす。
 手塚の左手からシャープペンシルが落ちた。

     ●

 不二が目を覚ました時、ベッドの周りには誰もいなかった。身体を起こして一度うんと背伸びをする。薬のおかげか、寝る前より身体は楽になっている。
 だが気分まで良くなっている訳ではなかった。
 そう世の中上手く行くはずがないとわかっていても、どこかで期待してた自分がいるのも事実だ。
 カーテンの向こうに人の気配がした。養護教諭でも帰ってきたのだろうか。人影が近づいてきたのを見て、慌ててシーツをかぶり直す。
「……大丈夫か?」
 その声を聞いて、不二は目をみはった。中学生とは思えない低い声。落ちついた話し方。
 驚いて、シーツをはねのけるようにして飛び起きた。
 その場に立っていたのは、不二の予想外の人物だった。
「手塚……?」
 手塚はベッドの上の不二を見下ろしながら、いつものむっつりとした顔のまま、とりあえず肯いた。
「な、なんで……」
「……お前が来て欲しいと言ったんじゃないのか? 菊丸からそう聞いたが……」
「そーだけど……」
 だからって、あの手塚が、来てくれるなんて。そんなこと、あるはずがないのに。
 ぼんやりとしたまま不二は手塚を見上げた。手塚はベッドの隣にある椅子に腰を下ろし、不二の顔を覗きこんだ。
「……いつもより、顔が熱そうだな」
「今、何時……?」
「1時40分だが」
 そんなに長く寝てはいなかったようだ。まだ5時間目の最中だ。……そう、まだ授業中なのに、手塚がここにいる。
 ひょっとしたら、熱でうなされて勝手な夢でも見てるのかもしれない。
 不二はふいに手塚の頬に手を伸ばすと、そっと触れた。手塚が不思議そうな顔をする。
 そのままぎゅっとつねった。
「っ!?」
 手塚は驚き、ベッドから身を引いた。つねられた頬が赤くなっている。
「何をするんだ、お前は……!」
「あ、痛い? じゃあ夢じゃないのかな……」
「あのな……」
「でもこれって自分の頬じゃないと意味無いのかな」
「……十分元気そうだな。じゃあ戻るぞ」
 げんなりしたように手塚は言うと、椅子から立ちあがった。慌てて不二は止めに入った。何があったかはわからないが、せっかくこうやってわざわざ来てくれたのだ。みすみす返すのはもったいない。手塚の学ランの裾を引っぱって引きとめる。
「あ、待ってよ……ごめん今のはやりすぎた」
 手塚が怪訝そうに振り向いた。不二はにっこりと笑う。もちろん手の力は緩めずに。
「心配してくれたんでしょ? ありがとう」
 よりいっそう手塚は顔を歪めた。しぶしぶといった様子で椅子に座りなおす。
「……やはり熱があるようだな」
「そう?」
「そんな素直なお前、見たことがない」
「……ヒドイこと言うなあ」
 不二はそう言って苦笑した。
「僕だって、授業サボって部員の見舞いに来るキミなんて見たことないけど」
 そう言われて手塚は口元に手をやって考え込んだ。言うか言わざるか迷っているようだった。
「それは……授業が自習になったからな」
「……どーせそんなところじゃないかと思ってたけどさ」
 体面とかほおりだして自分のところに来てくれる手塚でないことは、十分わかっているつもりだったが。
 だが、どこか盛り上がっていた気分が急に冷めた。
「週末は練習試合があるんだぞ、レギュラーが休みでは困るからな」
 部活の事を持ちだす手塚に、ますます冷めた気分になる。つまり、手塚はテニス部のレギュラーとしての自分を心配していたのだ。
 不二はむっとした顔で手塚を一度睨みつけると、手塚と逆方向を向いた。
「あーそーですね。青学ナンバー2で天才の僕がいないと部員の士気にかかわりますからねー」
 そのまま、シーツを頭からかぶってベッドに潜りこんだ。
「……不二?」
 先程まで喜んでいたのに、突然態度を変えた不二に、手塚は戸惑った声で問いかけた。不二はシーツで頭を覆ったまま答えた。
「……結局さ、キミはレギュラーが倒れたんなら誰でもお見舞いにくるんだろ?」
「あのな……どうしてそういう話になるんだ」
 あきれたような手塚の声に、ますます不満がつのる。
 彼には自分の気持ちは解らないのだ。多分ずっと。
「もー帰っていいよ」
「お前、何をすねてるんだ」
「……すねてなんかないよ」
 嘘をついた、と不二は自分で解っていた。子供みたいなすね方をしていると自分に嫌気がさす。普段ならこんなみっともない真似絶対にしない。
 頭をシーツにくるんでいるので、熱い息がシーツの内部にたまって気持ちが悪い。
 全ては熱のせいだ。

     ●

 一方、手塚は手塚で混乱していた。ベッド横の椅子に座ったまま、シーツにくるまった不二を見て考える。
 自習の課題プリントを早めに終わらせてわざわざ来てやったというのに、どうして不二は不機嫌になるのだろう。
 これでも散々悩んだ末の結論だったのだ。菊丸があんな言い方をするのでどうにも気になって、こうやって来てしまった。それなのに、不二は一瞬喜んだとように見えたが、すぐに塞ぎこんでしまった。
 あんまりではないか?
 そう思って、手塚は、不満を感じている自分自身に気がついた。怒っている不二に不満がある、つまり……。
 つまり自分は不二に喜んで欲しかった……のか?
「帰っていーよ、もう」
 まだこっちを向かずに不二が言う。
 不二の考えている事は手塚には解らない。正直全く解らない。授業があるのにこうやって呼びだしてみたり急に態度を変えたり。そもそも、男なのに男の自分に告白する辺りが解らない。いつも振り回されて困るばかりだ。
 他人の考えている事など、そう簡単に解るはずがない。それは相手にも同じ事だろうが。だいたい、手塚は自分の考えすら時折よく解らない時がある。先程のように。
「解らんやつだな」
 手塚は溜息をついた。
「こんなことで俺を呼びだすのは、お前しかいないだろう」
 ……解らないから、そのために言葉があるのだ。手塚はそう思う。
「お前が来て欲しい、というから来てやったんだ」

     ●

 その言葉を聞いて、不二はシーツの中で目を見開いた。
 がばりと起きあがりシーツを振り払って、手塚の顔を見つめる。
「……ホントに?」
「嘘をついてどうする」
「僕のために来てくれたんだね?」
 じっと目を合わせていると、手塚は不意に顔を反らした。どうやら照れたらしい。
「……そう、だと思う……」
「はっきりしないなあ……もう」
 苦笑混じりに不二は言った。だが気分は晴れていた。
 あの手塚に、「お前のためだ」と言わせたのだ。
 熱もたまには役にたつではないか。
「まったく……解らん奴だな」
 嬉しそうな不二を見て、手塚は憮然とした顔で呟いた。
「ねー手塚」
「なんだ」
「キスして。手塚から」
「……っ」
 手塚は思いっきり顔をしかめた。
「そんなこと出来るはずないだろう! ここで!」
「あーじゃあ他のところじゃしてくれるんだ?」
「そういう問題じゃない……」
 うんざりしたようにうなだれて、手塚は両手で顔を覆った。不二は身体を起こして手塚に顔を近づけた。
「んじゃ、キスさせて」
 え? といった様子で顔を上げた手塚の唇に、自らの唇を触れさせる。
 ほんの一瞬だけ、唇が重なり合ってすぐに離れた。
 そのまま間近で見つめ合いながら、不二は言った。
「好きだよ、手塚」
 全ては熱のせいだから、何でも素直に言ってしまおう。
 何が起こったのか解らないように呆然としていた手塚は、ようやく認識したのか顔を赤くして口を抑えた。
「……お前な……」
「誰もいないし気にすることないよ」
「だから、そういう問題じゃ……」
「キミの風邪がうつったせいなんだからさ、これぐらいいじゃん」
「あれは! 俺が風邪なのに、お前が無理やり……っ」
「無理やり? ナニしたんだっけ?」
「……〜〜っ」
 頭を抱える手塚を、不二はにこにこと見つめていた。
 たまにはこういうのもアリだよな、と思いながら。


どうした私。何か実生活で嫌な事でもあったのか私(苦)。
……これ、ギャグなんで本気にしないで下さい〜(恥)
エロにしようかと思ったがよく考えたら熱で息子死んでるし……(下品)

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