「rain cats and dogs」

 7月上旬、青春台駅前のコーヒー専門店は、突然の夕立に慌てて店に入ってきた人々でごったがえしていた。
 その中の一角に、不二は待ち合わせの相手と向かい合わせに座っていた。

「いやあ……突然だったんで、参りましたよ」
 不二は折り畳み傘を用意していたので被害は最小限に抑えられたが、相手は学ランをびしょびしょにしてしまっていた。見ていられなくて常備しているハンドタオルを差し出した。
「あ、ああ……ありがとうございます」
 相手はそれで全身の水分を拭った。顔と眼鏡の水滴をとてなんとか話せる状態になると、ハンドタオルを折りたたんで手元に置いた。

「えーと、お久しぶりです、不二君」

 相変わらずの無精髭と丸い色眼鏡。塗れた髪はやや伸びているようだ。そのためか、ますます胡散臭さが上がっている。現在は一応高校二年生のはずだが、どう見積もっても10代には見えない。
「…………」
 不二は視線だけで、目の前の元青学男子テニス部部長・大和に挨拶を返した。
 頼んでいたカフェラテに相変わらず信じられないぐらい大量のガムシロップを入れている。コーヒー類には砂糖も何も入れない派の不二としては見ていて気持ち悪くなるぐらいだ。
 そして自分も相変わらずだ。
 この人が苦手なのは二年前から変わっていない。

「で、今日はいったい何の用事ですか?」
 そう聞かれて、不二は言葉に詰まった。何から言えばいいか上手く思いつかなかった。

「全国出場、決まりましたから」
 悩んだ末に、唐突にそれだけを言った。
 その一言で十分だった。

 全国大会出場。
 それは大和と、そして手塚の悲願であった。
 先日の関東大会でベスト4入りを決めた青春学園テニス部は、見事全国への切符を手に入れることが出来た。

 大和はその知らせを聞いて少し驚いたような表情をすると、にこりと微笑んだ。
「ええ」
 サングラスの奥に見える瞳が細められる。

「ていうかもう手塚君から聞きましたからそれ」
「え……ええええ!?」
「昨日丁寧に葉書で届いたんですよー。見てくださいこの達筆。しかも筆書き」
 サボテンの絵入りの絵葉書を見せびらかすようにひらひらと降る大和に、不二はこの上も無く驚いた。
 そして怒りを覚える。

 自分にはメールの一つよこさないくせに。
 許すまじ手塚。

「ところで」
 絵葉書を仕舞うと、大和は頬杖をついて不二の方に微笑みかけた。
「……わざわざ、このことを伝えるためだけに、呼んでくれたんですか? 僕を?」
「………………」
 図星だったので、何も言えない。

 全国大会出場って貴方の夢だったし。
 手塚が伝えるのが筋だろうけど、生憎手塚は遠く離れた九州の地にいるんだし。

 いろいろと理由は浮かぶが、どれも言い訳みたいに聞こえて口にしたくなかった。

「ありがとうございます」
 深々と頭を下げる大和に、不二は何も言えなかった。

「それと……手塚の、左肩ですが」
 居た堪れなくなって、話題を変えた。
 大和は少し、ストローを弄っていた手を止めた。グラスの中で氷がカラン、と音を立てる。
 手塚の怪我を、この人が一番気に止んでいることは知っている。手塚に無茶をさせたのは、彼の言葉が原因だったと言えなくもない。
 少なくとも、大和本人がそう思い込んでいることは間違いない。
「順調みたいですから。安心してください」
 昨日、大石に手塚からレギュラー皆宛てのメールが届いた。肩の経過は上手くいっているらしい。

 大和はしばらくグラスの水滴を見つめていたが、ふっと視線を和らげた。
「そうですか、それは良かった」
 顔を上げて、わずかに口元だけで微笑む。

「でもそれも手塚君から電話で聞きましたけどね」
「……えええええッ!?」
「何せ一週間に一回は連絡くれますから彼。愛されてますねえ僕」
「………………」
 もはや不二は言葉もなかった。

 とりあえず今度宮崎から帰ってきたときに問い詰めねばならない。答えによってはオシオキだ。

「ひょっとして、不二君、連絡もらってないんですか?」
 図星だったので不二はぐっと唇を噛み締めた。
 手塚から来る連絡はたいてい事務的な内容や社交辞令的な近況報告ばかりで、しかもテニス部全員宛てだ。個人でもらった事はない。
 黙り込んだ不二に全てを察した大和は、苦笑してアドバイスした。
「連絡、取ればいいじゃないですか。好きなときに好きなように。付き合ってるなら」
 その言葉に「好きなときに好きに連絡を取れる」者の余裕を感じたが、熱くなる心を抑えて答えた。
「……嫌なんです」
「どうして?」
「僕が手塚無しじゃ駄目だって認めるみたいですから」

 氷帝戦で手塚の敗北が決まった時、自分の中で何かが終わった。
 最強の彼が負けるなど、ありえないと思っていた自分。
 だけど「最強の男」など、幻でしかなかった。
 そうやって手の届かないところにおく事で、自分より強い存在と言う幻に依存して楽をしていた。
 そして、手塚自身は決して見ていなかった。
 そのことに気付かされた。

 だから、手塚と別れる日に、こう決意した。
「これ以上依存はしないって……決めたんです」
 そうでなければ、また、自分に都合のいい手塚だけを見ることになる。

 不二の強い言葉に、大和はしばらく何か考えていたようだが、やがて軽く溜息をついた。
「落ち込んでいるかと思いましたが……案外大丈夫そうですね」
 優しい眼差しで見つめられると、自分の言った事が気恥ずかしくなってきて、不二は顔を背けた。

「それと……言っておきますけど、僕達、付き合ってるわけじゃありませんから」
 一応、その間違いだけは正しておいた。
「へ? へえええ!?」
 今度驚いたのは大和のほうだった。思わず椅子から立ち上がる。
「え、だって不二君の恋心になかなか気付いてくれない手塚君に我慢できなくなって放課後に無理やり襲っちゃったんじゃないですか!? しかも部室で!? 大声で言うには憚られるようなあんなことやそんなことをしちゃったんじゃないんですか!?」
 確かに本人も言っているとおり、店の中で大声で話す内容ではない。不二は額に浮かび上がる青筋を感じながら、ことさらに低い声で言った。
「……落ち着いてください」
「でもジャージで腕を縛って動きを封じた上に猿轡をして声も出せないようにして四つん這いにして腰を高く上げさせてその上脚を開かせてラケットを……もがっ」
 それ以上言われると店を追い出されそうだったので、不二は慌てて紙ナプキンをまとめて大和の口に放り込んだ。
「そこまでしてません!」
 さすがに初めてだったのだ。激情に任せたとはいえそこまで悪辣なことはやっていない。……初めてのときは。
「もぐー(でもー)」
「とにかく」
 気を取り直して不二は話を続けた。
「手塚、そのことは許してくれましたけど」
 今でも思うのだが、何故許してくれたのかいまいち解らない。その後、ずっと済し崩しのように続いている関係も、手塚は結局最後には許してくれた。
 でも、恋愛関係なのかと言うと、どうも違う気がする。
「……そう言うと、手塚怒るし」
 大和は口の中からナプキンを取り出すと、うんうんと深く肯いた。
「あーなるほど……手塚君ならありえますねー」
「だから……恋人なんかじゃないんです」
 別にそんな言葉に縛られたくもないと、不二自身そう思っている。

「……でも不二君、もっと自分に自信持っていいと思いますよ」
「……?」
「僕、手塚君から、頼まれてますから」
「え?」
「『もしも元気がなさそうだったら、励ましてやってください』って」
「………………」
「『あいつは強がりだから、絶対表には出さないだろうけど』だそーですけど」
 大和は人の悪そうな笑いを浮かべた。不二は気まずくなってその場をごまかすためにコーヒーに口をつけた。
 ちらっと大和をうかがうと、まだ微笑んでいた。
 視線をそらすために目を閉じる。
 大和はそんな不二の様子を微笑んで見ていた。
「なんだかんだ言って、円満みたいで何よりです」
「…………」
 「貴方がいなければもっと円満なんですけどね」など厭味の一つも言いたい不二だったが、厭味で勝負しても買ったためしがないので我慢する事にした。

「あ、……雨、上がったみたいですね」
 大和のその声に窓の外をうかがうと、すでに灰色の雲は消えていた。かわりに、蒸し暑い空気と夏特有の薄ぼんやりとした夕暮れが訪れている。
「じゃ、そろそろ、お暇しましょうか。実は今期末テストなんですよ僕」
 大和は立ち上がると、手元に置いてあったハンドタオルを手に取ると自分の鞄の中に入れた。
 不二が驚くと、大和は安心させるように笑った。
「あ、これ、洗って返しますから。また近いうちに今度は僕から連絡しますよ」
「……でも」
「だから、テスト終わってから、もう一回会いましょう。今度はゆっくり」
 不二は内心でしまった、と思った。あのタオルが人質になってしまった。人じゃないのだが。
 身を強張らせる不二に、大和はさらに続けた。
「……大丈夫ですよ、手塚君を敵にまわすつもりはありませんから。勝ち目ありませんし」
「…………」
 やっぱり、この人は苦手なのだと、不二は再確認した。


えーと、高二大和×中三不二。……好き放題やってます。不二塚お初はそのうち補完するので……。
裏の100のお題に置いてある82.陵辱と微妙にリンク。よろしく(宣伝)。

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