10月6日、日曜日――。

 午後11時過ぎ、風呂から上がってきた手塚は、幾分重い気分で自室の扉を開けた。
「あ、お上がり。長かったね、お風呂」
 心労の原因は、いやに明るい表情で自分を出迎えた。

 手塚の部屋の真ん中には、さも当然と言う顔をして、不二が居座っている。
 先に風呂に入っていた不二は既に持参したパジャマに着替えており、ベッドの脇に敷かれた布団の上で本棚から適当に取り出した本をぺらぺらとめくっていた。特に内容に眼を止めているわけではなかったのだろう。
「先に寝てていいと言っただろう。明日は学校だ」
 手塚はベッドに腰掛けた。不二は本を閉じ、本棚に片付けながら呟いた。
「でも、もういつもの朝練もないから、早起きする必要も無いし」
 三年生は九月の全国大会終了次点で引退となる。もう新部長も決定し、テニス部の活動は一、二年主体のものとなっている。
 毎日のように活動していた部活が無くなって、何か日常に隙間が生まれた。

「……今日は疲れた」
 項垂れて、呟くようにそう言った手塚に、不二は笑って相槌をうった。
「そうだろうね。久しぶりに皆で騒いだし」
 不二でいう「皆」とは、大石、菊丸、乾、河村達、元テニス部三年生レギュラーの面々をさす。
 今日は日曜日と言う事もあって、このメンバーで盛大に「手塚のお誕生日会」なるものを開いた。とは言うものの、単純に朝から晩までアミューズメント施設でさんざん遊びまくっただけだ。

 もともと、実行が決まったのだってほんの数日前の話らしい。手塚は今日になって初めて計画の全貌を知ったのだが。

 『そーいや明々後日って手塚の誕生日じゃん!? じゃ、皆でパーッと遊ぼーぜ!!』

 菊丸がそんな風に言い出したのは、金曜日の昼休みの事だったら。早速菊丸は手塚本人を除くほかのメンバーに都合を聞いて回り、その日の午後の授業のうちには手塚の知らぬところで今日の計画が立てられていた。そして、金曜日の放課後、下校直前の手塚を捕まえた大石が、手塚に嘘の連絡を伝えたのである。
 今日、大石との待ち合わせの場所で見慣れた面々を見るまで、手塚は一体何があるのか知らなかったのだ。いきなり「これから手塚のお誕生日会を始めるからな!」と言われて、面食らっている間に勝手に連れ回された。

「……だいたい、菊丸は俺の誕生日をダシにして騒ぎたかっただけだろう」
 げっそりした表情で手塚は言った。確かに、今日一番乗り気だったのは主賓であるはずの手塚より発案者の菊丸だった。
 不二がフォローするように言った。
「責めないでやってよ、英二、最近寂しかったみたいだから」
「菊丸が?」
「うん、ほら……あのメンバーで全員集まるのって久しぶりだったじゃない?」
「……そう、だな」

 三年間、ほとんど毎日顔を合わせていたのだが……いや、だからこそ。
 急に部活と言う場がなくなってしまった戸惑いは、きっと菊丸だけではなかったのだろう。
 おそらく、今日集まった皆も同じ気持ちだったのだ。

「でもさ……珍しいよね」
 膝で歩くようにして、不二はベッドの方へと近づいてきた。
「何がだ?」
 ベッドに座っている手塚をほぼ真下から見上げている不二は、笑ってはいなかった。
 瞳を開いて手塚を見つめている。
「君があーゆーバカ騒ぎに賛成するなんて」
「……そうか?」
「……そうだよ。いつも人付き合い悪いくせに。カラオケとか誘っても断るくせに」
「……」
 手塚は僅かに俯いた。肯定のしぐさだった。大勢で騒ぐ事はそもそも性に合わないのだ。

 不二は手塚に視線を合わせたまま、ゆっくりと立ち上がった。
 そのまま、俯いた手塚の首に腕を回してくる。
「離せ」
「どうして、今日に限って、賛成する気になったの?」
 上向いた手塚の額と、自分の額を合わせて、不二はそう問い掛けた。
「『手塚の誕生日は二人で過ごしたいね』って僕の誘いは断ったくせに」
 顔を至近距離で覗き込まれる事に耐えられなくなった手塚は、再び下を向こうとしたが、不二はそれを許さなかった。上半身を前に倒して手塚にのしかかってくる。
「答えてよ……どうして?」
 今度は不二に見下ろされる体勢になりながら、手塚は叫んだ……階下に響かないよう声を抑えて。
「……お前と二人きりでいると、必ずこーゆー事になるからだ!」
「あはは、なんだちゃんと学習能力あるんだねえ手塚。でもやっぱり詰めが甘いよ」
 現に今、ベッドの上で押し倒されている。
 しかしこれは自分の詰めが甘いと言うより、不二の押しが異様に強かっただけだと手塚は思った。いつもの微笑に鬼気迫るような迫力を込めて「夜も遅くなったし泊めて欲しいな」などと言われ、断れるツワモノがいたらお目にかかりたいものだ。
 それに、理由はそれだけではない。
「……俺のために計画してくれた事を、断れるか……」
 手塚のその答えを聞いて、不二はちょっと目を細めた。
「……ひょっとして」
「せっかく皆が集まってくれたというのに……」
「手塚も、部活引退して結構寂しかったの?」
「!!」
 手塚は目を見開いた。頬に僅かに赤みが差す。
 否定するため何か言おうとしたが、できなかった。
 それはつまり、図星ということであって。
「……っ」
 不二は満面の笑みを顔に浮かべ、嬉しそうに自分を見下ろしている。
「君にもそーゆー感情があったんだねえ……」
 居た堪れなくなって、手塚は横を向いた。ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「……あいつらには、感謝している……」
「?」
 手塚の口から出た言葉に、不二はふと不思議そうな顔をした。文脈が読めなかったのだろう。
「今年は、レギュラーの皆のおかげで優秀な成績を残す事が出来た……俺一人じゃなんともならなかった」
「テニスの事だけなんだ?」
「……いや、それだけじゃない……その、なんというか……」
 言いよどむ手塚の言葉を、不二が代弁した。
「……『いい友達だから感謝してる』ってとこ?」
「…………」
 手塚は何も言わなかったが、否定することもなかった。

 そのときだった。一階の柱時計が12回、音を立てたのは。
「……日付、変わったね」
 不二が不意に優しく目を細めた。上半身を押さえ付ける体勢はそのままに、ゆっくり顔を下ろしてくる。
「お誕生日おめでとう、手塚」
 そして、唇と唇を触れ合わせた。
 貪るような激しいものではなかった。口を重ねて息遣いを共有するような、優しいキスだった。続けていくうちに心音までも重なっていくような錯覚に襲われる。
 唇を離すと、至近距離で不二はこう言った。
「今日は君の誕生日だから、君が望むようにしてあげるね」
「……ッ」
 不二をこの家に入れたときから覚悟はしていたのだが。
 手塚は観念したように瞼を閉じた。

 ……しかし。

 それだけ言うと、不二は手塚の身体の上から退き、ベッドの上から降りたのである。
 このまま済し崩しになる……と身構えていた手塚は、思わず拍子抜けした。
 いつものこの状況なら、間違い無く抱こうとするのに。
「……しないのか?」
 うっかり、そんな事を口にした手塚に、不二は苦笑しながら答えた。
「しないよ。だって君、嫌なんでしょ? 今日は君の嫌がる事はしないって決めたの」
「……」

『今日は君の誕生日だから、君が望むようにしてあげる』

 さっきの台詞は、そういう意味だったらしい。
 手塚はちょっと安心した。明日は学校なのだ、身体に負担が掛かるような事は避けたかった。
 だが、どこか、胸の奥に引っかかるものがある。
 黙りこんだ手塚を、不二は床に敷かれた微笑みながら布団の中から見上げている。
 内心の動揺を見抜かれているような気がして、手塚は顔を背けて布団の中に潜り込んだ。
「ひょっとして、期待してた?」
「……そんな訳あるか」
「そう?」
 冷たいシーツに顔を押し付けるようにしながら、手塚は瞳を閉じた。
 期待していたなんてわけはない、決してそういうことではない。
 ただ、戸惑っているだけなのだ。いつも手塚がどれだけ嫌がろうが拒もうが有無を言わず抱いてきた癖に、今日に限ってそんな殊勝なことを言うから。
「それじゃ、お休み。手塚」
「……」
 10月ともなれば夜はもうかなり冷える。
 一人だけの布団は、やけに肌寒い気がした。

 期待していた、訳ではない。
 ……ないのだが。

「……不二、寝たのか?」
「起きてるよ、何?」
 手塚は不二に背を向けたまま、聞こえるか聞こえないか解らない程度の声で言った。

「……一緒に寝るぐらいなら、構わんぞ」

 二人の間に、しばし、沈黙が流れた。
 手塚は依然として壁側を向いて布団にくるまっているので、不二の様子まではわからない。
 当然、不二が何を考えているのかなど、まったくわからなかった。
 やがてごそごそと音がした。不二が体を起こしたらしい。
「……いいの? でも君、ベタベタされるの嫌いでしょ?」
「だから、隣で寝るだけなら構わんと言っている。何かしていい、とは言っていない」
 不二は再び黙り込んだ。
 息を潜めて待っていても、不二が動く音は聞こえない。
 この状況に耐え切れなくなった手塚が先に口を開いた。
「こっちに来ていい、と言ってるだろう」
 不二は少し間を置いた後、こう返答した。
「……でも今日は遠慮しておくよ、君が望んだことだけしてあげたいし」
「……」
 手塚は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。
 代わりに、不二がこう言った。
「君が一緒に寝て欲しいって思ってるなら、そっちに行くけど?」
「!」
 手塚は思わず目を見開いた。声を荒げて否定する。
「そんなはずあるか!」
「……じゃ止めとく。一緒に寝て欲しいわけじゃないんでしょ?」
「……っ……」
 再度、沈黙。
 時計の針が進む音だけが部屋中を支配している。規則正しい音が頭に響きわたる。
 思えば、こうやって時計の音を気にして寝付けなくなるなど、久しぶりではないだろうか。
「……不二」
 名前を呼ぶ声に、幾分哀願めいた響きが混じっていることを、手塚は自分自身で自覚した。

 ふと、衣擦れの音がして、その後すぐに暖かいものが布団の中に入ってくるのを手塚は感じた。
 隣に並んで横になった不二は、無理やり触れるような事はしてこなかった。
「ごめんね、待たせて」
「……待ってたわけじゃない」
「……はいはい。じゃ、ありがたく隣で寝させてもらうことにするよ……これでいい?」
 手塚は何も答えなかったし、不二のほうを向く事もしなかった。
 ただ、人肌の温かさだけが、十二分に伝わってきた。

 ふと、不二が独り言のように呟いた。
「何かのドラマだったっけ。こんな台詞があってさ」

 好きな人とでも、ずっとセックスしてるとそのうち身体に飽きてくる。
 けど、好きな人のぬくもりだけは何時までたっても飽きない。

「……今の状況って、なんかそんな感じだよね?」
「…………」
「あ、もちろんセックスでも君を飽きさせたりしないけど」
「……………………」
「でも……なんか解るよね、その気持ち。」
 不二の言葉を、手塚はずっと眼を閉じて聞いていた。
 沈黙は、肯定と同義だった。

「あ……二月、楽しみにしてるね」
「……?」
 妙にはしゃいだ不二の声に、手塚は眉を顰めた。
 不二は続けてこう言った。
「僕の誕生日には、僕の望むようにしてくれるよね? お返しだから」
「……!!」
 まんまと不二の罠にはまった事をようやく悟った手塚だった。

        ●

 ……不二の誕生日編に続く(らしい)。


 ……塚、お誕生日おめでとう〜……つー訳で甘ったるいのを一発……
 最近なんか強姦ばっかりしてるので……(しかし不二塚って基本が強姦だからな……)
 ……強姦モノよりかなり恥ずかしい物を書いておりますが(滝汗)。
 急いで書いたのでいろいろとツッコミどころ満載ですが、まあおいおい直しておきます(苦)。
 曜日とか今年のものとなってますが、三年部活引退後の設定で呼んでください……。
 あーちなみに、不二のセックス云々の元ネタは野島ドラマ『未成年』より……未だに泣ける……。

 続編は絶対鬼畜になるだろうとそれはそれで不安……ドキドキ(死)

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